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そんなことはどうでもいいのである

 例えば、国産乗用車で一番高いクルマの価格はおよそ1700万円だが、その原価を割り出し、それを高いとか安いとかいう客はいるのだろうか。クルマの価格が高いと思う客は買わない(買えない)し、安いと思う客はもっと高いクルマを物色する。つまり、客はクルマの価格は気になっても、いくらの原価で出来ているのか、そんなことはどうでもいいのである。

 逆に、原価が気になる場合は、誰でもつくることのできるものや、どこでも買えるものである。つまり、同じようなものならば安い方がよくて、原価が気になるその心理は、なるべく儲けさせたくないからである。

 同じようなものなのに、なぜ儲けさせなければいけないのか。横並びでつくったくせに、大した努力もしていないのにと、無意識のうちに、そのような感情があるのではないかと、私は思う。

 要するに、自分がうれしくない場合は儲けさせたくないのである。もっと言えば、自分をうれしくさせない者は好ましくないのである。

 買い手(調達側)が高いと思うのは原価を推定して、その差額、つまり儲けを勘案しているからであり、それが多ければ面白くないし、ギリギリか下回ったりすると、そこまで切り詰めているのかと嬉しくなるのである。しかしこれは、相手の儲けが少ない、あるいはゼロだからうれしいという卑しい優越感だから、あまり褒められたことではない。

 いずれにしても、原価を気にするとロクなことはないようだ。

 このことは、別の視点から考察すると、売り手も買い手も、その原価が不明であると、何も文句が出ないということではなかろうか。

 自分をうれしくさせた者には、きっとお礼の意味(これも無意識)もあってニコニコして買うのである。その原価は気にならないし、どれだけ儲かっているのかも気にならない。肝心なことは、自分がうれしければいいのである。

 ならば、原価が不明であればいいのである。客が製品を見て、この製品の原価はいくらなのか、それが分からなければ客の関心は製品の良し悪しに目が移る。それでいいのである。

 整理すると、原価を不明にするには二つの手段がある。一つは買い手をうれしくさせることであり、もう一つは原価そのものが推定できないようにすることだ。どうして作ったのか(技術や材料が)分からなければ、原価は不明になる。

 こうして原価を不明にすること、それが開発原理なのである。

 さて、弊社の顧問料も原価は不明である。弊社の固定費は不明だし、何より、製造業ではないから、原材料費や加工費も掛からない。だから、弊社の原価は完全に不明なのである。

 ただし一社(署)だけ、完全に把握しているところがある。何が何でも原価を明らかにして、絶対に弊社を儲けさせてはならないと命をかけている機関がある。それは税務署だ。

 泣く子と税務署には勝てないという、あの税務署なのである。トホホ…。(悔涙)