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 ただ、それでプログラミングが嫌になったわけではありません。同じチームで先輩がちゃんとプログラムを組んでいたので「それなりに勉強なりすればやれるものなんだ」という手応えもありました。

言語の勉強とシステム開発を繰り返す

 「大学を卒業したらソフトウエアの開発をしたい」という気持ちが強くなっていきました。ですから、東京に出るのは自然だったし、ソフトウエアを作る会社に就職したいという気持ちも最初からあった。そこで、受託開発を手掛けるジャパン・サービス(現 大陽日酸システムソリューション)に就職しました。日本酸素(現 大陽日酸)が情報システムをアウトソーシングしている会社です。事業の半分は親会社のシステムの受託開発、残りが他社の仕事でした。

 ちょうどWebが台頭してきた時期で、デスクトップのアプリを開発するだけでなく、サーバー側もWebシステムとして開発されるようになってきたころです。会社としてもそうした方向に舵を切るということで、Webシステム関連のチームのメンバーになりました。

 最初はVBの仕事が多く、デスクトップアプリを作ったりしていました。親会社が製造業なので、制御系のシステムも作りました。機械的にシビアなプログラムを先輩が書いて、自分はユーザーインタフェースや帳票印刷の機能などを実装するといった感じです。Webの案件も受け始めて、検索システムなどを開発しました。

 使っていたプログラミング言語は多かったです。使える言語のアンケートが社内であったのですが、対応言語数は私が会社で1番でした。VB以外にPerlやPHP、ColdFusionなども使っていました。基本的には、お客さんから「この言語で開発して納品してください」と言われたものに合わせる感じです。言語や仕様が決まったら1~2週間で一気に勉強していました。今から考えると無茶なことをしていましたが、結果的にはその後役に立つ能力になりました。

 必要な知識を短期間で得て、システムを納品できる状態に仕上げて、その後長めに面倒を見るといった感じです。新人だったので、そうしたやり方に違和感はありませんでした。2~3人の同期のチームで案件対応したりとか、今から考えると無謀ですね。