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夫の転勤を機に新たな事務所に

 ペンシルバニア大の大学院を修了した後は、地元の設計事務所EwingCole(ユーイングコール)に就職した。大規模な事務所ではなかったこともあり、1年目から大きな仕事を任された。最初に取り組んだのは、地元のミューレンバーグ大学の学生寮のコンペだ。

 とにかくがむしゃらにアイデアを絞り出したところ、コンペを勝ち取った。いきなり自ら手掛けた建築プロジェクトが実現することになったのだ。相浦氏本人が「本当にラッキーだった」と思い起こすように、設計者としては上々の滑り出しを切った。

相浦氏が建築設計事務所ユーイングコールで設計を手掛けたミューレンバーグ大学の学生寮。同大学からも高い評価を得たという(写真:Catherine Tighe)
相浦氏が建築設計事務所ユーイングコールで設計を手掛けたミューレンバーグ大学の学生寮。同大学からも高い評価を得たという(写真:Catherine Tighe)
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 その後も順調にキャリアを積んでいった相浦氏。ユーイングコールに4年間勤めたところで、経済学の研究職に就いていた夫が、ロンドンに転勤することになった。これに伴って、相浦氏も退職を余儀なくされる。

 そこで、上司の紹介を受けてロンドンでの就職先となったのが、2009年に現在勤めるPLPアーキテクチュアと分離した大手設計事務所KPFのロンドン事務所だった。KPFは、世界各国で建築プロジェクトを展開していた。

 転職した相浦氏は、それまで感じなかった大組織の壁に突き当たる。新たな事務所は大きな組織なので、いきなり色々な仕事を任せてもらうわけにはいかなかった。この職場では、まずは上司の指示に従って作業をこなすことが求められたのだ。

 「任せてもらえていたスタイルから、上司の考えを理解してそれに従う方式へと仕事の進め方が変わった。最初はつらかった」と、相浦氏は振り返る。

 この経験は当時こそ不満に感じたものの、今になってみると、学べたことも少なくなかったと相浦氏は実感している。「スタッフをマネジメントするうえで、仕事の工程や内容をあいまいにせず、明確に指示する手法を習得できた。この点は今の仕事で役立っている」(相浦氏)

 最初は仕事のスタイルに戸惑っていたものの、指示に沿って仕事をきちんとこなしていくうちに、存在を認められるようになり始める。そして、同事務所での存在感を増す大きな転機となったのは、オーストラリア・パースに建設する劇場のコンペだった。

 上司が夏季休暇を取得している間に、相浦氏は自身で設計案をまとめ上げた。その案をコンペに提出したところ、最終選考まで残ったのだ。これを機に所内で実力が認められるようになる。相浦氏が意見を聞かれたり、仕事を任されたりする機会は増していった。