デジタル・デバイド(デジタル技術によって引き起こされる経済格差)の問題が,関係する各種の組織で正面から取り上げられるようになった。極言すれば「デジタル弱者に救いの手を」ということか,と早合点して調べてみると,どうも少し違うようだ。意味するところの幅がずいぶん広がっている。純朴なデジタル社会推進論で応じるのは,要注意である。

 特に,沖縄サミットで当時の森首相が「日本は先進国・途上国間のデジタル・デバイド解消に巨額の資金を提供する」と表明して以来の動きには注意すべきだろう。国際的な駆け引きも加わって,議論はやや複雑な構造に変わっているからである。

 確かにデジタル・デバイド論には,深刻な社会問題への認識が横たわっている。デジタルによる人間の能力のエンパワーメント(拡張,拡充)は,極めて強力だ。株式取引も,商品の販売や購入も,デジタルによる新しい手法を利用できるとできないとでは,相当に有利・不利の差が出る。電子行政が広がれば,デジタルを利用できない人にとっては逆に住みにくい社会になってしまうのではないか,という不安もある。それに,「今さらデジタル技術と言われても・・・」と迷惑顔の年配者を,どのように和ませることができるか。

 ハンディキャップをもつ人がデジタル技術によって,ハンデをさらに拡大されることがあってはならない。たとえば,教育の場で早くからデジタル技術に触れて習熟していると否とでは,将来の職業選択の条件が変わり,大きな所得格差を生み出すのではないか,という指摘もある。教育環境の提供は,教育を受ける側の責任ではなく,環境を作る側の問題である。

 同様の問題を国際的な視点でみるとどうなるか。デジタル化を急速に進める先進国に対して,途上国は他のインフラ拡充に手いっぱいで,とてもデジタル化など考慮するゆとりはない。デジタル技術がもつ経済的エンパワーメント能力を考えると,先進国と途上国の格差が極大化する恐れはないか。

 まさしく,その恐れはある。

 ただ,「だから日本政府が巨額の資金を提供して」となると,これは話が別ではないか。現在の日本は,大方の人が指摘するようにデジタル先進国ではない。中進国程度といったところだろう。

 一方,デジタル・デバイドで話題にされる技術を持っているのはほとんど米国だ。「日本は巨額の資金を提供し,途上国が,その資金で米国の製品を購入する」というのでは,国際的デジタル・デバイドの解消というのは,米国の海外市場開拓に世界が協力するだけ,という結果になりかねない。

 日本が期待されているのは「キャッシュ・ディスペンサ」の役割だけ,という皮肉な指摘もある。こういう安易なデジタル・デバイド解消への協力ではなく,もっとじっくり落ち着いた協力の方策を考えないといけないのではないか。政治家のパフォーマンスのために巨額の税金を海外にばら撒く結果に終わらないように,注視する必要がある。

(中島 洋=日経BP社編集委員)