どんな分野でもいい。世界の頂点を極めた人間は,その瞬間,何を思うのか。過去のステップをどう自己評価し,これから始まる輝かしい未来に胸を躍らせるのか。一度,聞いてみたい・・・。
そんな筆者の子供じみた思いを,かなえてくれる機会に恵まれた。「日経ネットビジネス」11月10日号の表紙と特集の扉ページの撮影で,元WBA世界スーパーフライ級チャンピオンの飯田覚士氏に会えたのだ。飯田氏は約10年前に放送されたテレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のプロボクサー養成企画でデビューしたと聞けば,ピンとくる方も多いだろう。
その号の特集テーマは「あなたは勝てる『人材』ですか?」。ネット時代におけるキャリアとは何かについて取り上げた。そこで,飯田氏にご登場願ったという次第である。
冒頭の質問に対する飯田氏の答えは意外といいうよりも,「その言葉を聞きたかった!」とスポーツファンの勝手な想像と思い込みを満たしてくれるものだった。
「判定で勝ちが決まった瞬間は,それまで2度負けていたプレッシャーが強く,周りの期待もあったので,ホッとしたというのが正直なところ。喜びがこみ上げてきたのは,夜,ベッドに入ってからです。が,その感激もつかの間,暗闇のなかに地球儀が浮かんできたんです。今,日本は夜だけど,昼間である地球の裏側では,自分のベルトを奪おうとしている連中が練習している。するとなぜか,サンドバッグを打つ音が聞こえてきたんですよ。ライバルをけ落としながらやっと山の頂上に立ったと思ったら,その先は断崖絶壁。あぐらをかいて座っているイメージが,簡単に崩れてしまいましたよ」。
みなさんは,自分のキャリアについてどのようにお考えですか。
確かにボクシングとビジネスパーソンとでは,戦う環境もルールもまるっきり異なる。飯田氏も,「目標や夢という点では,ボクシングはビジネスパーソンよりも設定しやすいかもしれませんね」と話す。しかし,「新人王,日本王者,世界王者と,目の前にある階段を,一歩ずつ上らなければならない点ではビジネスも同じ。生き生きと仕事する一方で,自分を追い込みながら,より高い位置へと向かうどん欲さはどの世界でも必要ですよ」とも。
学生時代に試合に優勝した実績のあるエリートでも天才肌でもなく,人並みはずれた努力だけでのし上がってきた飯田氏だからこそ言える説得力のある言葉である。彼は現在,ボクシング・ジム経営の傍ら俳優学校に通い,第2の人生を役者にかけるべく新たなキャリア作りに挑んでいる。
ネットビジネスにおける新たなキャリアパスとは?
誕生間もないネットビジネスの分野では,大企業であろうがネットベンチャーであろうが,既存のキャリアパスとは異なる,新たなキャリアの“階段”をこれから見つけていかなければならない。
「企業のネット部門」-->「ネットベンチャーへの転職(もしくは起業)」-->「IPO(新規株式公開)」というヘタな“3題話”についても簡単に切り捨てることなく,ネットバブルの弾けた今だからこそ,真剣に自分の将来を見据えた形でとらえ直すことができるのではないか。むしろ,ネットビジネスで新しいキャリアを積み重ね,飯田氏の言う,どん欲に一層の高みを目指そうという“逸材”が続々現れそうな期待を抱かせる。
社会人のキャリアに詳しいリクルートの藤原和博フェローは,ネットビジネスを本業としている企業やネットの基盤技術に関わる一部の技術者などを除いて,「ネット部門はかつて“花形”だったかもしれない。しかしネット自体が企業にとってツールなのだから,その部署が社内で“傍流”なのは当然。むしろ傍流であることを誇れる時代ではないか」とみる。
ネットは企業が生み出す商品やサービス(本流の部分)を効率的に世に送り出すチャネル,あるいは顧客と密接につながることのできる手段としてとらえれば,業界,商品,サービスを問わず,その企業が持つ本来価値を倍化させることができる。その点では,たとえ社内で傍流とみなされていても何ら気にすることはない。
また,マッキンゼーのパートナーから転身し,ネットオークション会社ディー・エヌ・エーを立ち上げた南場智子社長はこう話す。
「かつてのコンサルタントの立場だったら,ネットビジネスに携わり,成果を上げた人間を『積極的に他の事業部へ移しなさい』とアドバイスします。新しいチャネルを立ち上げた経験は,ビジネスの世界では普遍的なもの。さらにネット業界特有の,ビジネスのスピード感を身につけている。これを既存のビジネスに還流させない手はない。今や大半の業務にIT(情報技術)が浸透している時代だからこそ,ネット部門に人を送り込む場合は,部長からヒラ社員までエース級を出すべき」。ネットビジネスの経験者を,企業の変革を促す“触媒”として活用せよ,というわけだ。
もちろん,肯定的な見解ばかりでもない。ある人材コンサルタントには「自分の値段という発想こそ諸悪の根源。自分を高く売ろうとするIT業界の輩(やから)こそ大問題。高く売れるように努力するのはナンセンス。本人も不幸になるだけ」と取材を断られてしまった。
確かに「社内で“勝ち組”と言われる1割程度の人間が,必ずしも幸福に暮らしているとはいえない」との指摘もある。ネットビジネスに限った話ではないが,そもそもそんなに多くのビジネスパーソンが,明確なキャリア観を持って日々の仕事に取り組んでいるのだろうか,との疑問もある。かくいう筆者もその一人だ。
しかし,元インテル会長で現在はベンチャー・キャピタリストの西岡郁夫氏が語る次のような見解にはうなずかざるを得ない。
「本当は値打ちのないものを,高く売ろうとするからダメなんだ。自分が持つ,コアとなる強みが本物なら,それをできるだけ相手に高く評価させることは必要だ。それにはまず『自分のバリューは何なのか』ということを自問自答すること。そうでなければ,ずっとバリューのないままで終わってしまう。いつも自分の価値を意識しなければいけない時代がやっと来た」。
ビジネスマンの7割が「将来のキャリアに不安」
10月中旬,特集に関連して実施した電子メールによるアンケートでは,約2100人の回答者のうち7割以上が「将来のキャリアについて不安だ」と答えた。現在の仕事に関する不満点は,「企業・組織の将来性に疑問を感じる」が41%,「収入が少ない」が40.4%,「将来のキャリアプランが描けない」が39.2%だった。
また,ネット事業・部門の社内における位置づけでは,「どちらかと言えばネット事業は重視されておらず,キャリアパスのなかでは傍流だ」が33.1%でトップ。次いで「ネット事業が重視されるようになり,キャリアパスの本流になってきた」の28.5%。ただし,ネット事業とキャリアパスについては「非常に有利」と「どちらかと言えば有利」で約75%を占めた。注目は,「キャリアアップのために行っていること」という問いに,7割以上が「独学で勉強している」と答えた点だ。この結果を見て,はっと思い出したことがあった。
実は冒頭の飯田氏の撮影だが,失礼ながら彼は“主役”ではない。表紙を飾るのは,飯田氏のトレーナーで,彼と共にボクシング・ジムを運営するトレーナーの福田洋二氏だ。福田氏は,飯田氏に加え,具志堅用高氏,渡嘉敷勝男氏,竹原慎二氏の4人の世界チャンピオンを育てた,知る人ぞ知る“名伯楽”である。人材について「教えるのはハート。相手のハートを読んで接すれば,選手はついてくる」「ベルトを締める人間は目が違う。目にハートが出る」「欠点を指摘するのは1カ所。いい選手は連鎖反応で他の欠点が修正され,良い面もさらに伸びる」など,上司の言葉なら“クサイ”台詞もスーッと胸に入ってくる。
その福田氏が「一番人気がある練習は,ミット打ちなんだよ」と教えてくれた。ミット打ちは数ある練習のなかでも最もハード。パートナーに合わせて休まずパンチを繰り出さなくてはならない。「それでは強くなれないんだ」と福田氏。ミット打ちは,ミットを構えた相手の声と動きにリードされながら“打たされている”のであって,実は自分から打ち込んでいるのではない。「ミット打ちなら3分間フルに動けるから,練習した気分になる。ところがサンドバッグで3分,本気で打ち続けられるヤツはほとんどいない。『一人で強くなる練習をしなさい』,この意味が分からないんだよなぁ」と同氏はもらす。
練習段階から自分に対する甘えや妥協,パートナーへの依存心などを一切ぬぐい去らなければ,決してベルトを締めることはできない,というわけだ。
一方,ビジネスパーソンは7割がキャリアアップに対する“独学派”だ。真剣に将来のキャリアを考えて勉強に打ち込んでいるのであれば,相当な力が備わるはずである。ただ勘違いしてはいけないのは,福田氏は決して「一人で強くなれ」とは言っていない。「一人で強くなる練習」を求めているのだ。そこに,名トレーナーとしての厳しくも温かい“ハート”を感じずにはいられない。
さて,あなたは「チャンピオン」になれますか? あなたのそばに「名トレーナー」はいますか? その答えは胸に秘めておこう。特に後者については。
(酒井 康治=日経ネットビジネス副編集長)
■日経ネットビジネスでは11月10日号で,ネット時代の人材とキャリアについての特集を予定しております。今回掲載したアンケートの詳しい結果や,ネット業界で働くビジネスマンの本音に迫ります。ご興味のある方は,ご一読いただければ幸いです。