2002年3月期に営業収益127億円(前期比58%増),営業利益43億円(同45%増)をたたき出したネット証券最大手の松井証券。その松井証券が過去のシステムを捨て去り,新システムに全面移行した。以前は外部委託していたバックオフィス(主に株式約定後の処理)と,独自開発だったフロントオフィス(主に約定前の処理)を分散環境で統合。新システムの開発・所有・運用を日本フィッツに委託することで,「持たざるIT経営」に大きく舵を切った。
「10年にわたる凄まじいリストラと,オンライン・ビジネスへの参入に並ぶ大きな決断」(松井道夫社長)である(松井社長の発言はIT Proのリアルインタビューで全文および動画像をご覧いただけます)。
新システムへの移行は5月7日,一斉に実施された。ところが予想をはるかに超えるアクセスがあって,システムの応答速度が極端に落ちた。「アクセス数の見込みが甘くて,実質的にはシステムが止まってしまったような状況だった。本当におわびしなければいけない。お客さんからは大変なおしかりを受けたし,お怒りになるのは当然だ」。当日の必死の復旧作業により,翌日には通常の運営に戻ったものの,多難の幕開けだった。5月31日時点では,従来どおりの応答時間を確保しているという。
「悩みに悩んだ末の決断だった」
だが新システムは当初のトラブルを補って余りある戦略性を帯びている。フロントオフィスは独自開発のシステムを廃棄。バックオフィスは大和総研への委託を打ち切った。そして,フロントとバックを統合した新システムにすべてを託したのである。
新システムの設計・開発は日本フィッツと共同で実施した。日本フィッツはCSKの関連会社で,旧・山一証券グループの社員が中核を担っている。いわば金融システムのプロ集団だ。しかも分散環境を前提に,近い将来の「T+1」(証券の翌日決済)にも対応済みだった。
急激に業容拡大する松井証券にとって,IT投資のスケール・メリットを追求するのは必然である。そのためには分散環境をベースにすることが大前提であり,激変する事業変革に機動的に対応するにはフロントとバックの統合が欠かせない。業務は「統合」,システムは「分散」というセオリーを実行するわけだ。
しかも,「これまでは『うちのシステムだ』と言っていられたが,これからは囲い込む発想は通用しない」(松井社長)と大きく方向転換した。その言葉の裏には,戦略性とコスト削減の狭間(はざま)で悩む経営者の姿が見て取れる。「金がかかるけれども,悩みに悩んだ末の決断だった」という松井社長の発言には重みがある。なにしろ,これまで作ってきた独自システムの早期償却は,2002年3月期分だけで約8億円。今期を合わせると10億円規模になる見通しだ。
他社利用を視野に入れる
システム投資に関して松井証券が大胆な決断を下せるのは,十分な利益を獲得しているからにほかならない。松井証券はネット証券事業で信用取引(資金や株券を借りて売買すること)やボックスレート(1日の約定金額に応じた段階的な手数料)などを他社に先駆けて実践してきた。
しかし,「やりたいことは,まだまだ残っている。これまではシステムがネックになって実行できなかった」(松井社長)。日本フィッツと全面提携することによって,かなり思い切ったことができるというわけだ。
その意味で松井証券と日本フィッツの提携は,単なる事務処理の全面委託というレベルを超えている。「デザインだけは絵を描けない。線引きや絵付けの技術が必要になる。設計は松井証券だが,開発は設計者の意図を理解できるプロに任せたほうがいい」(松井社長)
その結果,旧システムの早期償却が完了すれば,松井証券にシステムの償却という概念は消滅する。後は日本フィッツへの手数料が発生するだけだ。ネット証券のシステム費用は一般に年間数十億~100億円前後と言われている。もちろん実際には約定件数によって大きく変動するので,絶対額を議論するのは難しい。だが松井証券が「事業規模に応じたシステム費用」へ全面的にシフトしたことは間違いない。
新システムを他社が使うことも,可能性としては念頭に置いている。いまだ黎明期にあるネット証券市場全体を活性化するため,松井証券はボックスレートなどのビジネスモデル特許をあえて取得しなかったという。システムに関しても「他社に開放してもいいという発想」(松井社長)である。
日本フィッツとの具体的な契約内容について尋ねると,松井社長は「皆さんが考えているような複雑な契約ではありませんよ」とかわす。ただ,「囲い込みはしない」という発言を信じるなら,他社にとって分かりやすく妥当な料金体系になるはずだ。
(上里 譲=コンピュータ局編集委員)