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 想像してもらいたい。ここは一面ガラス張りのオフィスだ。どんな行動も衆目にさらされる。部屋に入るのにも空港のゲートのような金属探知器で厳重なチェックが必要。警備員によって,私物の持ち込みも,とがめられる。

 部屋に入ってからも自由はない。天井には監視カメラの眼が光る。パソコンは,業務に必要のない外部記憶装置やUSBなどの利用を制限している。パソコンのデスクトップ画面も一部始終監視され,メールやWebのアクセス・ログもすべて保管される。徹底してあなたは疑われているのだ。

 これが約452万件の顧客の情報漏えい事件を起こしたソフトバンクBBの再発防止策の実態である。同社の孫正義社長が「性悪説」という言葉で表現した,「そもそも従業員は悪いことをする」という視点に立った対策だ。

 筆者は,今回上記のような対策を施したソフトバンクBBの「高セキュリティ・エリア」に実際に入ることができた。顧客情報を扱うコール・センターやシステム系の業務セクションを1カ所に集めた場所である。筆者の第一印象は,そこで働く人には申し訳ないが「ここでは働きたくない」という気持ちだった。ここまで疑いの目で見られては,働く気が失せるからだ。これは,誰もが感じる偽らざる気持ちではないだろうか。

 実際に業務への支障も出ている。ソフトバンクBBの場合,従業員の入退室の際に金属探知器の前に長蛇の列ができるシーンもあった。それだけで生産性は確実に落ちる。また,筆者が感じたように,従業員の士気を下げている面も否めないだろう。

「性悪説」対策への抵抗感

 今年に入って個人情報の大規模な漏えい事件が相次いでいる。ソフトバンクBBをはじめとして,アッカ・ネットワークスや通販のジャパネットたかた,4月に入ってからは,コスモ石油や日本信販の顧客情報流出が明るみに出た。

 これらの事件によって,個人情報を扱うリスクを改めて認識した企業は多いだろう。個人情報の漏えいは,企業の経営に深刻な影響を与える。信頼を損ね,顧客離れを引き起こすからだ。ソフトバンクBBの場合,営業を手控えて顧客獲得数が減ったことなども考慮すると「100億~200億円の影響があった」(孫正義社長)と打ち明ける。

 最近の情報漏えい事件の多くは,内部の人間が情報の持ち出しに関わった可能性が指摘されている。これまで多くの日本の企業が採用してきた,従業員との信頼に基づいた業務スタイルが裏目に出たのだ。結局,内部からの情報漏えいを防ぐためには,上記のソフトバンクBBのように,従業員の行動を監視したり,パソコンの利用を制限する「性悪説」の対策が不可欠となるわけだ。

 「性悪説」の漏えい対策を導入する企業は,漏えい事件を実際に起こしてしまった企業をはじめとして増えている。メールやWebの監視に限定すれば,金融業界やメーカーなど,すでに多くの企業が導入している。

 しかし,内部の人間を疑いだすと切りがない。実際の業務に顧客情報が必要な場合と,故意に持ち出す場合の切り分けが難しいため,監視と制限を二重三重にした対策を取らざるを得ない。そのため,従業員の士気を損なったり,生産性が落ちる弊害が発生するわけだ。

 このような「性悪説」の情報漏えい対策は,本当に日本に根付くのだろうか? 筆者は,ソフトバンクBBのような極端な形ではとても根付かないと考える。実際に現場に足を踏み入れた感想として,運営面で逆効果のほうが大きいと感じたからだ。それだけこれまでの日本の企業では,従業員が疑われることに慣れていないのだ。

不幸な社員を生まない会社運営も

 実は「性悪説」の情報漏えい対策と正反対のアプローチも考えられるのではないだろうか。

 あるシステム・インテグレータは「情報を外部に持ち出すのは,会社に対して不満を持つ不幸な従業員であるケースが多い」と指摘する。確かにその通りだろう。会社の待遇もよく業務に満足を抱く従業員が,会社にとってマイナスとなる行動を取る理由はないからだ。逆に,不満を抱く従業員が小銭稼ぎに個人情報を持ち出す行動を取るのも想像に難くない。

 そこで,正社員と比べて待遇が見劣りする派遣社員の存在も浮かび上がってくる。実際,ソフトバンクBBの漏えい事件で逮捕された容疑者の1人は,同社のサポート・センターに勤務していた元派遣社員だった。

 バブル崩壊以降,10年以上の長期不況に悩まされてきた日本では,そもそも従業員の姿勢もネガティブになりがちだ。いつ会社がつぶれるかもしれない,いつ自分がクビになるかもしれない。そんな状態が続いているからこそ,「不満の多い」従業員が増え,顧客情報の流出事件が相次いでいるのだろう。

 だとすれば,経営者にとって重要になるのが,業務に不満を抱く従業員をできるだけ減らす会社運営だ。それは,内部からの情報漏えいの危険性を確実に減らす手段となる。

 もちろん,愛社精神に満ちた従業員でも,何らかの事情によって犯罪に走ってしまう可能性はある。だから,「性悪説」に基づく情報漏えい対策をすべて否定するつもりはない。ある程度は受け入れざるを得ないだろう。だが,それだけでは問題の解決にならないと思うのだ。不幸な社員,会社に不満を抱く社員を生まない会社運営がまず基盤としてあり,それと組み合わせてはじめて,情報漏えい対策も効果を発揮するのではないだろうか。

(堀越 功=日経コミュニケーション)