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 古い話で恐縮だが,2000年に米Sun Microsystems社の元チーフ・サイエンティスト,Bill Joyが「Why the future doesn't need us.」(未来はなぜ我々を必要としないのか)という論文を米Wired誌に寄稿して話題になったのをご存じだろうか。その論旨は「ナノテクノロジ,ロボット工学,遺伝子技術の発展によって,やがて人とロボットの主従関係が逆転し人という種が滅亡するかもしれない」というものだった。簡単に言えば,映画「マトリックス」や「ターミネーター」の世界が現実になるというのである。

 当時,記者はこの記事をざっと読んだ程度で,あまり興味を引かれなかった。ところが最近になって,Bill Joyが言いたかったことが分かる気がし始めている。きっかけは,記者が属する日経バイトの2月号の特集「センサーネット」,同4月号の特集「生物指向コンピューティング」の記事執筆だ。

 センサーネットの特集では,ビルや街,家などに張り巡らされた無数のセンサーがネットワークで結ばれることで便利になる世界を書いた。ネットワーク化したセンサー群という入力手段をコンピュータが持つことで,キーボードとマウスを使って人間がコンピュータに指示を与えずとも,コンピュータが人間の行動の意味を理解し,先回りしてサービスを提供するようになるという世界である。
 
 生物指向コンピューティングの記事では,ネットワークにつながるコンピュータの増大によって,システム全体の信頼性が保てなくなることを示した上で,その解決策の一つとして生物的な自律分散システムがあることを述べた。細胞や生物個体(人間も含む)は,周囲の状況(化学物質の濃度)に応じて動作することで全体として秩序を持った動きをする。こういった相互連携の仕組みを研究し,高速のネットワークにつながった無数のコンピュータに埋め込むことができれば,人間が手を下さなくても,システム全体が負荷分散や障害復旧をしながら,適切に動くようにできるのではないかという話を書いたのだ。

便利だが恐ろしくもある世界がやってくる

 こういった記事を書きながら考えたのが,センサーネットや生物指向システムが発達すればどういった世界が実現するのかということだ。

 現在の技術レベルでは,コンピュータがセンサーを通じて人間の意図を理解することはほとんどできない。あるユーザーが椅子に座ったからテレビをつけるなど,過去の動作履歴から推測できる程度だ。人の表情や雰囲気から察するという人間的な細やかさはない。また,コンピュータ間の相互連携といっても単細胞の細菌にも及ばないほど単純である。

 しかし,10年,20年先,さらに先を考えれば,人の意図を読むコンピュータが実現する可能性は十分にある。また,グリッド技術の発達を考えれば,コンピュータ間の連携も今よりもっと複雑に,賢くなるだろう。すでに,学習や進化といった生物特有のプロセスをこういったシステムに組み込む動きが,研究者の中では出てきている。究極的には,人間より気の利くコンピュータが登場し,しかもこれらのシステムを人がメンテナンスする必要すらなくなるだろう。

 これは便利かもしれないが,恐ろしい世界でもある。完全にコンピュータに依存した状態になるからだ。とはいえ,この世界へ踏み出すのは,必然かもしれない。「あれば便利なものは,使っていくうちになくてはならないものになる」(センサーネットのある研究者)からだ。

 例えば携帯電話。携帯電話がない時代には,仕事やプライベートで携帯電話なしであまり不便は感じなかった。ところが今,あらゆる場面において,携帯電話なしには生活できない状態になってきている。同様にコンピュータに高度に依存した社会では,コンピュータなしには生きられなくなる。これは見方を変えれば,コンピュータの主人であったはずの人が,コンピュータに飼いならされたペットのようになることを意味している。

皆さんも考えてみませんか?

 もちろん,「今のコンピュータの延長線上には人間を超えるようなシステムはできっこない」という意見の方もいるだろう。だが,脳細胞のニューロンの動きを電気的に模擬できるシステムができつつある。今の生物工学の進歩の速度を考えれば,生物そのものを組み込んだコンピュータが誕生する可能性もある。すでに,生体と電子回路をつなぐチップが作られている(関連記事)。現行の延長線上にないコンピュータができてくれば,人以上に賢いコンピュータも見えてくるかもしれない。

 また「人がコンピュータに支配される前に気づくのではないか」という意見もあるかもしれない。しかし,変化は急激にではなく,徐々に起こる。気が付いたら,先に述べたような高度にコンピュータに依存した状態になっており,取り返しがつかないという状態になっているかもしれない。コンピュータを止めること自体が人間の活動を止めることになるからだ。

 では,どうすればいいのか,ということになるのだが,正直なところ記者にも解決策は思いつかない。今後の記者自身を省みても,もはやコンピュータと全く接することなく,生活することはできないし,その依存度は今後ますます強まるだろうことは容易に想像つくからだ。

 Bill Joyは「人類が一つの種として,何を欲しているのか,どこを目指そうとしているのか,それはなぜなのかを合意すれば,何を放棄でき,何を放棄すべきかを決めることができる」という。それはそうかもしれないが,これは世界的な,しかも政府レベルの合意が必要である。とりあえず,今筆者ができるのは,読者の皆さんに「一人一人がコンピュータとヒトの未来はどうあるべきかについて考えませんか」と問いかけることだと思う。

(中道 理=日経バイト)