米ハイテク株市場のNASDAQは,主力IT企業の業績下方修正に伴い,先週も下げ止まらなかった。雲行きが怪しくなってきた米ハイテク市場の動向を前に,米国のジャーナリストのあいだで,まことしやかな予想が囁(ささや)かれている。それは,11月7日の大統領選挙(正確には議会なども含めた総選挙)直前にNASDAQが崩壊すれば,アル・ゴア(Al Gore)大統領候補(現副大統領)が負けるという見方である。

 現在の米国経済は,企業業績に若干の陰りが見え始めたものの,失業率はいぜん低く,全体としてはまだ良好とみてよい。マスメディアの見方は,米国経済がヨタヨタしながらも選挙日まで何とか持ちこたえてくれれば,ゴア候補が勝つが,逆に崩壊すればジョージ・ブッシュ大統領候補が勝つというもの。というのは,経済がRight Track(正しい軌道)に乗っていると国民が判断する限り,彼らはクリントン路線を継承するゴア候補を支持する。これがWrong Track(間違った軌道)に外れたとみれば,国民は「じゃあ,まあ一つ大統領を変えてみよう」という理由で,ブッシュ候補を担ぐというのだ。

 これは恐ろしく単純な見方である。しかし世の中は,往々にして極めて単純なメカニズムのもとで動いている。

 現在,両候補は「社会福祉税」「減税」「高齢者医療プログラム」「中絶問題」「薬品価格」などを争点にディベート(議論)を展開している。しかし「中絶問題」を除き,両者の主張にそれほどの違いは見られない。また両候補が「違い」を強調する「減税政策」に関しては,国民のあいだには両者がいったい何を言おうとしているのか,よく分からないという意見が大半を占める。雌雄を決するのは結局,こういうもっともらしい政策論議ではなく,「経済が上手く回っているかどうか」だけだというのである。

 これは特に目新しい見方でも何でもない。92年の選挙でクリントン大統領が勝利したのも同じ論理に基づいている。私が面白い(目新しい)と思ったのは,米国のジャーナリストが経済を判断する指標として,ダウ平均ではなく,NASDAQを選んだことである。米国経済の象徴は今や,ダウではなく,ハイテク(主にIT)主導のNASDAQなのだ。

 NASDAQが落ち込めば自由世界のリーダーの首がすげ替えられ,欧州や日本の株式市場にも余波が及ぶ。市場の低迷は,こうした地域の政治地図の塗り替えにもつながるだろう。技術主導の経済が,世界構造を大きく左右する時代に入ったのだ。

 米国ジャーナリズムの大御所デイビッド・ハルバースタム氏は90年代初頭に書いた著書で,ジャーナリズムの主流が「政治」から「経済」に移行したと述べた。東西冷戦からベトナム戦争へと突入する60年代から70年代にかけては,ハルバースタム氏のような政治ジャーナリストが米国ジャーナリズムの主流を担っていた。

 しかし,やがて共産世界の衰退・崩壊に至る80年代から90年代にかけて,ジャーナリストの関心が政治から経済へと移行した。優秀な記者は,みな経済畑に向かうようになった。この流れが21世紀を目前にした現在,単なる「経済」から「技術経済」へと,もう一段のギア・チェンジをしようとしている。

 次のようなエピソードがある。

 筆者は96年にニューヨークで催されたレセプションで,ハルバースタム氏と短い会話を交わしたことがある。70~80年代にかけて,The Powers that be(邦題:メディアの権力)やThe Best and Brightest(邦題:ベスト&ブライテスト),The Reckoning(邦題:覇者の驕り)などの米ジャーナリズムの金字塔を次々と打ち立て,「伝説的知性」とまで謳われたハルバースタム氏も,90年代に入ってからは全く精細を欠いているように,筆者には思える。

 レセプションで会った同氏は,「今の自分は,ジャーナリストではなく,歴史家だと思っている」と語った。彼が当時,執筆中だった著書は確か,「南北戦争」だか「最初に米国に渡った清教徒の話」(うろ覚えで申し訳ない)。とにかく昔のことを取り上げているようだった。

 そんなハルバースタム氏に,「いま,あなたが若いジャーナリストだったら何について書きますか」という質問をぶつけたみた。彼は即座に,「ハイテクです。私には,その方面の素養がないから書けない。しかし今,私が若かったら技術について書いてみたい」と答えてくれた。

 当時はちょうど,米Netscape CommunicationsがIPOを果たしたころ。これからいよいよ米国のITブームが始まる矢先だった。老いたりとはいえ,ハルバースタム氏の時代を読む目に狂いはなかったようだ。

 政治ジャーナリストとして出発し,ベトナム報道でピュリッツァー賞を受賞した同氏が,やがて経済に関心を移し,日米自動車摩擦を取り上げたThe Reckoningで全米の話題を呼んだ。その彼が,引退を間近にして「ハイテク」に興味を持つという流れは,そのまま社会構造の中心軸がシフトする方向を示しているといってもよいだろう。

(小林雅一=ジャーナリスト,ニューヨーク在住,masakobayashi@netzero.net