記者の仕事で難しいと思うのは、入手した情報をどこまで書くか、ということである。まず、その情報が正しいかどうか、裏をとる。十中八九、正しいと確信できても、すぐに書くわけではない。その情報を記事にすることで、誰にどんな影響があるかを考える。といっても、ほとんどの場合は「読者が求めている」と判断して書く。それでも過去に書かなかった記事はかなりある。

 いきなり妙な話を書き出したのは、1年数カ月前に書いた文を再掲しようと思ったことがきっかけである。日経ビズテック特別編集版の作成は完了したのであるが、その直後にいろいろと事件が起きて、現在もなかなか忙しい。読者には申し訳ないが、今朝は過去の前書きを再掲しようと思って、ファイルを検索していたところ、次のような一文を見つけた。

2002年12月21日付の前書き
 昨日は夜遅くまで事務所に居残って、机や周囲の片づけをしていた。来年(2003年)から少し仕事が変わるので、それに備えて引っ越しをするためである。17年も記者をやってきたので、さまざまな資料が山のようにある。はっきり言って参照することは滅多にないというか、まったくないので、全部捨ててしまえばいいのだが、なかなか踏み切れない。昨晩は思い切って捨てたつもりであったが、それでもかなりの資料が残ってしまった。

 厳密にいうと、資料というより、珍しいものといったほうがよい。たとえば10年くらい前に会社を倒産させてしまった社長さんが、倒産までの経緯を詳細に記録した手書きメモの束がでてきた。この社長さんとは非常に親しくしていたので、会社が傾きだしてからも頻繁におじゃましていた。倒産直前なのに、よく会ってくれたと思うが、筆者に会うのが案外息抜きであったのかもしれない。手書きのメモは読み返してみると異様な迫力に満ちており、なにかに使えないかと思ったものの、筆者は小説家になるつもりはないので、永遠にお蔵入りであろう。

 内部告発とか密告の怪文書も結構出てきた。筆者は匿名の告発文をもとに取材をしたことはない。ただ、せっかく送っていただいたので記念にとってある。某外資系ソフト会社の粉飾決算を告発する手紙は、詳細な販売実績の表などついていてなかなかリアルである。というか、おそらく本物であろう。この会社が売上高をごまかしているという話は以前から聞いていた。調べようかと思っていたところに告発の手紙が来たので、取材はやめてしまった。最終的にその会社の経営陣は総入れ替えになった。

2004年3月1日付の前書き続き
 書かなかった話のうち、前半に出てくる社長はその後、別な会社に務めていたが、数年後、また起業した。こりないと言ったら失礼であり、その起業意欲は立派だと思う。自分のことを考えてみると、筆者は原稿を書く以外に能がないので、面倒な会社作りをするなど想像もつかない。

 この社長には、起業直後に数回会った。それから数年疎遠になっていたが、つい最近手紙が来た。文面を見ると、作った会社が手がけていた事業とソフト製品を別な会社に譲渡したとある。推測ではあるが、ソフトを開発したあたりで資金を使い果たし、行き詰まったのではないか。連絡してみようと思いつつ、まだ電話をしていない。

 2002年の前書きには「永久にお蔵入り」と書いていた。だが新雑誌には通常のニュース以外のことを書くこともありえるので、大昔もらった手書きの倒産日記と合わせて何か書いてみてもいいような気がしている。

 書かなかった話のうち、後半については「なぜ取材して書かなかった」と異論もあるだろう。しかし、匿名の手紙を元に取材をすることはどうも気持ちが悪い。やはり告発者に会って、その人の顔を見て話を聞かないと、取材を進めるわけにはいかない。ここまで書いて思い出したが、数年前、ある地方の自治体のシステム開発プロジェクトを告発する電話があった。

 最初は若い記者が電話を受けたのであるが、「谷島さん、気持ちが悪いので引き取ってもらえませんか」という。気持ちの悪いものをなぜまわすのか、と思いつつ電話をとると確かに気持ちが悪い。その人は声を変えていたからである。妙に甲高い声で、「お話したいことがあります」と言う。

 20分くらい話を聞いて、「取材するかどうかは検討する」と答えた。話は結構面白かった。しかし明らかにそのプロジェクトに反対する人が、声を変えて電話をしてきたのは明白である。結局、この件も取材はしなかった。

 その後、妙に甲高い声の人は一回だけ電話をかけてきた。「取材されましたか」と聞きてきたので、「検討しているがまだです」と答えた。「××日までに記事にしてもらえるといいのですが」「その日に何か意味があるのですか」「いや、大事なことですから早く報道されたほうがよいのではないかと」。おそらくプロジェクトの追加予算を認めるか何かの日が決まっていたのであろう。

 取材はしなかったが、あのときのメモはどこかにあるはずである。将来時間ができたら、プロジェクトがどうなったか調べてみようかと思う。