夏休みは先週末で終わり、今週から仕事を再開しているが本欄の更新をなかなかできなかった。日経ビズテック三冊目の編集作業が忙しくなってきたからである。第三号は9月8日に発売するので、今月中にすべての作業を終えなければならない。といって情識を放置するのもまずい。考えた結果、昨年途中まで書いたまま中断していた「ドラッカーのマネジメントを読む」を復活させることにした。

 まず昨年11月28日に公開した前書きを再掲する。書き出しからして、筆者の進歩の無さを証明している。

2003年11月28日の前書き
 新雑誌の開発がますます忙しくなり、またしても本欄の更新が滞った。ITPro読者への借金返済も遅々として進んでいない。などと書いても生産的ではないので、前向きなことを考えたい。このところ少しずつ読んでいる本は、ピーター・ドラッカー氏の「マネジメント エッセンシャル版」である。
 「マネジメント」のもともとの邦訳本は電話帳上下2冊といった感じの超大著であるが、エッセンシャル版は300ページ程度である。書店で見て上下2冊本に圧倒されたので、エッセンシャル版のほうを買って帰った。新雑誌の開発というプロジェクトをまがりなりにもやっていると、この本は極めて参考になる。ネタに困ったときのドラッカーといったら失礼かもしれないが、しばらくこの本について書いてみようと思う。

 この本は、冒頭からして衝撃的である。「組織をして高度の成果をあげさせることが、自由と尊厳を守る唯一の方策である」「成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるもの」というフレーズが出てくる。マネジメントは、全体主義に陥ることを避けるためにあるわけだ。

 不勉強につきまだ読んでいないが、1939年に書かれたドラッカー氏の処女作は、全体主義を論じたものという。ドラッカー氏の翻訳を手がけている上田惇生氏によると、その処女作は「ブルジョア資本主義とマルクス社会主義という二つの経済至上主義が、いずれもその約束した自由と平等をもたらさなかったことに絶望した大衆が、民主主義の伝統のない国において選んだ道がファシズム全体主義だったことを明らかにした」ものである。

 何回か書いたことであるが、マネジメントという言葉に反発や嫌悪を感じる人は結構多い。それは、マネジャーというものは口うるさい管理者であって現場から自由を奪う人間である、という考えあるいは実体験から来ている。「なんだかんだいっても、最後は現場が頑張るからうまくいくんだ」という発言を聞いたり、インターネットの書き込みで見ることが多い。しかし、それは悪しきマネジャーにぶつかっただけであり、だからと言ってマネジメント本来の価値を否定することはできない。なにしろマネジメントがないと、現場の自由どころか、社会の自由と尊厳を守れないというのだから。

 新雑誌はマネジメント雑誌でもある。むろん、ドラッカー氏の定義したマネジメントのほうである。ただ、プロジェクトチームで議論をしていると、「マネジメントと聞くと自分とは関係ないと思う技術者が多い。マネジメント色を出さないほうがいい」といった意見もでてきており、このあたりが悩ましい。ドラッカー氏の定義はおって紹介する。

2004年8月18日の前書き
 実はマネジメントの話をまた書こうと思ったきっかけは、日経ビズテックを読んだ読者数人からメールを頂いたからだ。このメールの内容は別途紹介する。とにかく今日は読者に返信を書いたり、読者の意見をまとめて原稿の形に整理したりと、マネジメントのことばかり考えていた。そのことを書こうと思ったときに、「そういえば昨年、ドラッカーのマネジメントを読むという企画を始めていた」と思い出した。
 昨年書いた前書きを読み直してみると、マネジメントという言葉を使うかどうかで思案していることが分かる。結局、日経ビズテックの船出号においては、マネジメントとかマネジメント・オブ・テクノロジーという言葉を多用してしまった。