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■委員会の活動が職員の意識も変えた

 情報システム検討委員会の活動は職員の意識にも変化を起こし、職員自らが他団体へ視察に出掛けたり、IT導入に関して費用などに気を配ることができるようになってきた。

 2002年9月の障害者福祉システムの新規導入審査では、支払う補助金を計算するために、市の基幹システムから月に約400件の必要なデータを取り込む方式について検討が必要だった。オンラインでデータを移行し手間は掛からないけれども費用が高い大手メーカーのソフトか、フロッピー・ディスクでデータを移すため一手間余計に掛かるが費用は安い小規模メーカーのソフトか、どちらを選択するかの判断のために、職員自らが隣の埼玉県新座市を視察した。そこでは志木市よりもさらに多いデータ数をフロッピーで移行していることが分かった。志木市では、小規模メーカーのソフトの導入に踏み切った。

 こうした経験が職員の間で共有され始めた。市の水道部では以前、図面管理システムとその周辺機器(プリンターなど)も含めた一式すべてを同一メーカーが占めていた。だが、2003年度のシステム改修時には、職員とベンダーが自主的に、価格が安い他ベンダー製品を組み入れたり、開発の人月単価を見直すことでコスト削減を実現する、といったことも起きた。

■システム審査のフォーマットを統一

 全庁的な意識改革が広く及んだ背景には、システム導入の際に情報システム検討委員会の審査を受けるための統一フォーマット「情報システム検討委員会起案書」(図3)の存在も大きく影響している。従来から行っていた、志木市企画部電子政策課への「電子計算機設置計画書」の提出に加え、起案書の提出を2002年10月から義務付け、市民が参加する委員会の合意が得られるよう、原課は説明責任を負わなければならなくなったからだ。

■図3 情報システム検討委員会起案書の内容
図3 情報システム検討委員会起案書の内容
■図4 情報システムを構築するための志木市の申請過程
図4 情報システムを構築するための志木市の申請過程

 同時に、情報システム検討委員会に必ず審査を受け合格しなければならないよう、審査手順も変更した(図4)。細かな見積書の作成と添付提出も義務付け、「~一式」などのあいまいな表記や導入計画を排すことを目指した。

 透明性を求める資料の作成を決めたのは、2002年4月に発覚した全小中学校のネットワーク接続計画が発端となった。利用するサーバーやパソコンの性能を示すベンダーの見積書の項目が誤っていたり、必要以上に過剰な性能の製品が納入されようとしていたからだ。

 また、予算折衝時に情報システムの審査が集中するので、全庁的に同じフォーマットで審査を行うことで効率化するという目的もあった。

 志木市企画部電子政策課情報系グループの山崎仁主査は「当初は起案書に対する反発はありましたが、検討委員会の審査を通らなければ決裁しないと市長が宣言したこともあり、原課から『どうしたら検討委員会の理解を得られるのか』という問い合わせを受けるようになりました」と語る。およそ6カ月で適正な見積り価格に近づいてきたという。

■庁内の組織を変更し委員会と協働できる体制に

山崎仁氏
志木市企画部
電子政策課
情報系グループ主査
山崎仁氏
原田隆一氏
志木市財務部
財政課課長
(前企画部
政策審議室
主席主幹)
原田隆一氏

 志木市は、IT部会や情報システム検討委員会と協働して市の組織全体をチェックできるよう、情報システム部門の組織変更も実施した。

 2001年当初、財政課の中に情報システム担当者5人を置いていたが、2002年4月に課(広報公聴と同じ部門である企画部情報課)に格上げ、さらに2004年4月には企画部電子政策課として独立性を高めていった。財政課は一般の原課には予算決定で影響力があるものの、「教育委員会や水道部など独立性の高い部署までチェックできず、縦割りの部分が残っていました。そこで市の組織全体に広く調整権を持つ企画部にシステム部門を移管しました」(当時、志木市企画部政策審議室主席主幹として市民委員会などの立ち上げと運営に携わった原田隆一氏(注5))。

(注5)2004年4月から財務部財政課課長。

 今後は、新設した電子政策課とIT部会や検討委員会が協働して、市の組織のシステムを全体的な観点で集約し最適化を進めていく予定だ。