今まさに現実の物となろうとしているIPv6――。私はまさにその渦中の中にいる。会社では,仕事場だけでなく,打ち合わせ用の会議室でもIPv6でアクセスできるので,オフィスでは気がつかないうちにIPv6でサーバーにアクセスしていたりする。それなのに,なぜかIPv6は現実のモノとして肌身に触れる感じがしない。

 ちょっと考えてみると,このことはよい面と悪い面がありそうだ。まずよい面は,ユーザーがアドレスのバージョンなど考えずにアクセスできること。一方の悪い面は,実はぜんぜん普及していないのではないか,いうことだ。この悪い面については一抹の不安を感じざるを得ない。

 もっとよく考えてみる。そもそもネットワークとは,ルーターや回線,そこに接続されるパソコンなどで構成された「物理的なネットワーク」と,この物理的なネットワークに接続したコンピュータの上で動く「ソフトウエア」で成り立っている。私の感覚では,物理的ネットワークをIPv6で作ることはそれほど難しくない。性能はともかく,実際にサービス提供できるレベルにまで枯れてきたように思う。

 しかし,ソフトウエアは思った以上に中途半端である。WWWサーバーやFTPサーバーについてはIPv6対応のものもあるが,実際の業務で使うソフトウエアはあまりIPv6対応となっていない。

 エンドユーザーが家でインターネットに接続することを考えると,状況はさらに悪い。IPv6は夢物語に思えてしまう。だれでも,どこでも,手軽に,そしてインターネットが本来持っている“良さ”を十分に引き出して利用してもらいたい――。こんな思いでプロバイダの仕事に接していると,今あるエンドユーザーの現状について,なにかしらのわだかまりすら感じる。それは,単にIPv6が普及の途上にあるからなのだろうか。

 IPv4は広く普及し,新しいビジネスやソフトウエアがどんどん生み出されている。しかし,IPv4のままでいいのだろうか。そんなことはないはずだ。

 アドレス枯渇が騒がれ出して以来,IPv4のエンドユーザーはいろいろな不利益を被ってきた。たとえば,マイクロソフトのメッセンジャーに「電話」というボタンがある。心そそられ押してみたが,結局使えなかった。原因はNAPTである。アドレス枯渇の問題は,すでに知られているようにアドレスを節約するという名の下に,エンドユーザーの利便性のいくつかを無視してしまった。

 歯の浮いた言葉で言えば,“時代はブロードバンドである”。電話もインターネットで使えて当たり前。パソコンの電源を入れておけば,外出先で自分の携帯から自宅のパソコンを使えてもおかしくない時代だ。だがそのためには,やはりエンドユーザーにもグローバルなアドレスが配る必要がある。IPv6しかない。

 現実を見ると,IPv6をエンドユーザーに届けるには,やらなければいけないことがまだ山のようにある。アドレスを分配するルールの策定,高速ルーターの開発,運用技術の高度化,パソコンOSのIPv6対応,ソフトウエアのIPv6対応――。まだまだあるだろう。

 とはいえ,すでに顕在化しているIPv4ネットワークでの問題は,今すぐにでも取り除きたい。将来のIPv6を待つのではなく,今ある技術で解決したいのだ。こうした試みをいくつか始めている。「将来的にIPv6が置き換えるだろう」と思うと身が入らなかったりするが,こうした試みはきっと大きな発展につながるはずだ。

 たとえばソフトウエア開発の促進につながる。ソフトウエアはネットワーク機能に左右される部分がある。このため,必要なネットワーク機能が用意されていないと,ソフトウエアの開発意欲は半減してしまう。先のインターネット電話の例を挙げるなら,NAPTが普及して双方向通信ができない環境があると,インターネット電話の開発意欲が失われる。作っても,使われる可能性がないからだ。逆説的に考えれば,本来のインターネットの機能を取り戻しておけば,今はまだ見えていないまったく新しいソフトウエアが生まれるかもしれない。

 もうひとつは,将来のIPv6が抱えるであろう問題を前もって経験できることだ。IPv6が普及しても,いくつかの場面ではIPv4が残るだろう。IPv4専用の古いソフトウエアが使いつづけられ,IPv6化を待たずにサポートが終わってしまうかもしれない。もし,IPv6で作られたネットワークからこの古いソフトウエアを参照する必要性が求められると,この間をつなぐ「何か」が必要になる。この「何か」について,今の試みが解を与えてくれる可能性もある。

 私の仕事に対する思いは,「エンドユーザーからバックボーンネットワークにいたるまでのインターネット全体を通して,インターネットそのものの利便性を追求すること」である。まったくもってつかみどころのない思いではあるが,この思いがひとつのアイデアを思いつかせてくれた。それは,NAPTを利用している環境においても,end-to-endでのインタラクティブな通信がインターネットを通してできるようにする技術である。これを「NATS」と呼んでいる。現在,NATSの開発は,多くの企業の賛同を得て行われている。現実のものにしたいという強い意思をもって活動している。

 インターネットというものの中で,特にエンジニアとして仕事をしているとどうしても新技術に目を奪われる。もちろん,新しい物は今までの不便を取り払ってくれるが,そうなるには普及するまでの時間がかかる。とくに今ある技術からの変更点が大きければ大きいほど,普及には時間がかかり,多くの人々の努力が求められる。

 新技術が浸透していく間も現在の技術は使われ続け,少しずつ発達する。そこから目を離すことはできない。だとすれば,現在の技術での不便は,新技術が浸透するまでの間,現在の技術を改良して何とかしなければならないと思う。その「何とかしなくてはならない」を「何とかする」というのも,技術者の仕事ではないだろうか。


NAPT
 network address port translation。プライベート・アドレスで構成されているネットワークをグローバルなネットワークに接続する際に,プライベート・アドレとグローバル・アドレスを変換すると同時に,ポート番号も変換する技術。複数のプライベート・アドレスの端末が,1個のグローバル・アドレスで同時にインターネット利用するような場面でよく使われている。SOHOルーターなどが実装している。
NATS
 NAT/NAPTを拡張した技術。プライベート・ネットワーク内の各ホストにサブアドレスを付加することで,グローバルなネットワークからプライベート・ネットワークのホストを直接指定できるようにした。現在,Internet-Draftを提出した段階にある,インプリメンテーションが進められている。

近藤 邦昭
 インターネットの運用技術,ルーティング技術の研究,ソフトウエア開発などに従事している。就職したてのころ,当時の会社の先輩と社内のIPネットワーク・インフラを整備したのがインターネットに触れたきっかけ。以前より,パソコン通信レベルでの通信技術に興味があったせいか,一気にインターネットの虜となった。その後,個人向けプロバイダの立ち上げに参加。最近は,BGPViewというBGP-4の監視・試験ツールの作成と,プロトコル開発に取り組んでいる。JANOGの会長を務める。