今,プラハ空港にいる。ようやくRIPEの会議が終わったところだ。昔はAPNICやRIPEなどの意向で決まっていたアドレスのポリシーも,最近は広く関連する人や興味ある人々の間でオープンに議論されて決まっていく。ポリシーの提案も個人レベルですら自由にできる。ぼくはここRIPEの会議に日本の意見としてIPv6のアドレス・ポリシーを提案しにきた。さて,その首尾は? まあじっくりお話することにしよう。

 ぼくがIPv6に興味をもったのもそんなに昔のことではない。つい1年半~2年前ぐらいのことだ。それまでは今の欧米人のように(笑),IPv6はまだまだ先のことだろうと思っていた。ぼくはその少し前から,ICANNAddress CouncilやAPNICのAddress Policy SIG議長などをつとめており,数カ月に一度はレジストリの会議に出席していた。

 あるとき,ぼくは気がついた。このアドレス消費量の伸びは尋常じゃない。さっそくグラフ用紙と定規ならぬ,Excelシートを開いていいかげんな計算をはじめた。「この伸びがずっと続いたとして・・・,IPv4アドレスはまだ1/3余っているから・・・,うーんと,え? IPv4アドレスは2007年になくなってしまうぞ!? 今から少しずつ準備しないとまずいんじゃないか!!」。

 それ以来,当時勤めていたNTTコミュニケーションズで同僚の貞田氏らと組み,IPv6サービスにむけて社内調整をはじめるとともに,Global IPv6 Summit in Japanを企画して世の中の啓蒙もはじめた。まだ,今みたいなブームになる前のこと。それはそれはまだ小さな取り組みだった。

 状況が変わったのは2000年9月,森首相が所信表明演説でIPv6を口にしてからだ。それ以降,政府やマスコミがIPv6にこぞって関心をむけるようになり、社内外の雰囲気が一変した。当初,100~150人ぐらいを見込んでいたSummitも700人近い参加者を数えた。実行委員長だったぼくは当初200人ぐらいの小会議室で十分と考えていたが,事務を取りしきってくれたイーサイド社荒井氏の機転のおかげで大ホールをあらかじめ確保できた。まったくラッキーだった。

 IPv6にとりくみはじめて思ったのが,研究からリアルオペレーションへの移行が重要であるにもかかわらず,この問題がまともに取り上げられていないということだった。富士通の猪俣氏,インテックの中川氏,IIJの近藤氏らと酒を飲みながら話しているうちに,IPv6オペレーション研究会なるものを作ってしまった。この辺の取り組みについては猪俣氏らのコラムに譲ろう。

 もう一点,大変気になっていたのが,IPv6アドレス・ポリシーである。アドレス・ポリシーとは,IPアドレスを割り当てるときの基本的なルールのこと。現在のポリシーは今から2年以上も前に制定されたもので,内容も曖昧だったり未規定だったりする部分が多く,いまどきのサービス・プロバイダが商用サービスを提供するのに対応できるレベルになっていない。

 そこで日本主導でポリシーを提案することにした。今年の6月のJPNIC IP-USERSを皮切りに,前述のIPv6オペレーション研究会,WIDEミーティング,JANOG BOFなどを経て,研究コミュニティからオペレーションやアドレス関係のコミュニティまで日本全体のコンセンサスをはかるようにした。ミーティングごとに違う立場からの違う意見をいただき,その都度修正を行い、なるべくいろいろな人の意見を取り入れるように努力していった。結果として得られた提案は,追加申請基準を大幅に緩和する,(/48の)割当対象を明確にするなど,ビジネスやリアルオペレーションからの要求やJPNICなどのアドレス管理の立場を双方勘案したものとなった。

 この日本の提案を8月の台北でのAPNICの会議に持ち込んだ。この会議では、まずAPNIC/RIPE/ARINの共同提案と戦わなければならなかった。彼らの提案は明らかに日本の提案を意識していて,日本に主導権を握らせず,また彼らの立場(権益?)を残そうという意図に見えた。深夜のホテルの一室,早朝での朝食の場での実にタフな議論を通じ、2つの提案はマージされ、妥協案が作られた。この提案は翌朝,全体会議で承認され,アジア太平洋地域のコンセンサスとなった。承認にあたっては、重要な条件がつけられた。ポリシーはグローバルに同一であるべきで,ヨーロッパ、アメリカでも同様に議論を経るべきだということだ。

 で,RIPEの会議ということになる。航空機テロに臆することもなく(?),会議にはキヤノン伊藤氏が一緒に参加してくれ,議論をサポートしてくれた。大感謝。字数の都合で詳細は述べないが、会議としての時間が限られていて、アジア太平洋のコンセンサス・ポリシーを承認してもらうところまでは達成できなかった。しかし,とにもかくにも日本での新ポリシーの需要・緊急性の認識、12月での新ポリシーのドラフティング,ポリシーの大幅緩和の方針などについて,コンセンサスをえることはできた。まずは満足できる内容と自己評価している。奇妙な東洋人が他の地域に乗り込んで下手な英語で必死になにか言おうとしている,そういうある種の迫力があったのかもしれない。この世界、やはりまずはトライして前に進んでみること、これが重要なのだ。

 10月末にはフロリダでARINの会議があり,またそれと平行してグローバルなメーリングリストでの議論を通じて,ポリシーは決定されていく。JPNICや関係組織のバックアップも受けていくものの,これからが一層大変である。まさに正念場である。



APNIC
 Asia Pacific Network Information Centre。アジア太平洋地域のアドレス配布を行う組織。
 http://www.apnic.net/
ICANN
 1999年に設立されたアドレスやドメイン名などの資源管理調整のための国際非営利組織。
 http://www.icann.org/
Address Council
 ICANNの中にはドメイン名,プロトコル,IPアドレスの3つの領域を専門的に検討する支援組織がある。Address Councilは,その中のアドレス支援組織(Address Supporting Organization)における評議会のこと。評議委員として,世界から9名の専門家が選ばれている。
Address Policy SIG
 APNICにおいて,アドレス・ポリシーの議論を行う会議。だれでも参加でき,意見を述べることができる。ここでアジア太平洋地域としての方針決定がなされる。2000年3月から4回開催している。
レジストリ
 アドレス配布・管理を行う組織の総称。レジストリというのは,アドレス配布に対応するデータベースへの登録を行うことを意味するが,その実行組織もレジストリと呼ばれる。APNIC,RIPE/NCC,JPNICなどがこれにあたる。
Global IPv6 Summit in Japan
 IPv6の普及・推進を目的とした国際会議。去年12月には大阪で2日間の会期で開かれ,700名の参加者を集めた。今年からはインターネット協会IPv6デプロイメント委員会が主催する。第2回目は,2001年12月3-4日に横浜で開催される予定である。
http://www.jp.ipv6forum.com/
JPNIC IP-USERS
 もともとは,IPアドレスについてさまざまな議論を行うためにJPNICが設けたメーリングリストと会議の名称。現在は,APNICでのポリシー議論オープン化の流れに沿って,JPNICでもオープンなアドレス・ポリシーを議論するようになり,その議論のためのメーリングリストと会議という位置付けとなっている。
http://www.nic.ad.jp/
JANOG BOF
 JANOG(JApan Network Operators Group)は日本のネットワーク・オペレータで形成したネットワーク運用技術の議論の場。2001月7月にBOFが開かれ,IPv6アドレス・ポリシーについて議論した。
ARIN
 American Registry for Internet Numbers 。北・南米地域のアドレス配布組織。


荒野 高志
NTTにおいて,OCN立ち上げ期のネットワーク設計・運用,国際ゲートウェイサービスの立ち上げ,Verio買収プロジェクトの技術担当,IPv6サービス商用化などに尽力。2001月8月より現職。目下,米国ベースのプロバイダにIPv6サービスを提供させるために社内調整中。JPNICではIP-WG主査,副運営委員長などを歴任。アドレス関連では,国際的にはICANN Address CouncilやAPNIC Address Policy SIG議長などを務める。JANOGミーティングでの実行委員長など技術寄りの貢献に加え,Y2Kコーディネーションセンター代表などを契機にインターネットの社会学的な影響についても関心を寄せている。IPv6に本格的に取り組み始めたのはごく最近であるものの,IPv6サミット実行委員長,IPv6ジャーナル編集委員長,インターネット協会IPv6デプロイメント委員会議長などを務めている。週末はアマチュアのオーケストラでクラリネットを吹く。これでワーカホリックになりがちな日々をちょっとだけ中和しているという。