近年の電気製品の高機能化は,一般的にイメージされるパソコンとそれ以外の電気製品の境界を曖昧にしつつあるように思う。例えば,携帯電話においてWebページ閲覧や電子メールの送受信はもはや必須機能となっている。静止画や動画の撮影・送受信も当たり前になりつつある。そもそも現在の携帯電話は,数年前のパソコンに並ぶだけの性能を備えている。

 このように境界が曖昧になってきたパソコンと家電製品だが,一つ明白な違いがある。リセット・ボタンがそれだ。

 私たちは2001年度にIPv6冷蔵庫を試作した。この試作品は大型タッチ・パネルを搭載し,中では様々なアプリケーションが動いている。まだ実物を見ていない方もいると思うので,簡単に説明しよう。冷蔵庫単体で電子メールが受信でき,WebブラウザでWebページを閲覧できる。当然ながら,冷蔵庫本体の操作はタッチパネルで行える。キッチンで便利なタイマー機能も備える。さらにWebサーバを内蔵した。離れた場所から,冷蔵庫を操作したり,冷蔵庫の内部を見ることができるようにするためだ。Webブラウザを搭載したマシンがあれば,どこからでも冷蔵庫にアクセスできるというわけだ。内部映像は,本体内部に設置したカメラで撮影する。

 今回の試作品開発において私は,IPv6に密接に関連する通信部分ではなく,タッチパネル上で動作するアプリケーションや管理サーバ側のWebアプリケーションを担当した。これらのアプリケーションは,実際には複数のプログラムに分かれており,それらが連携しながら動作する仕掛けになっている。この連携は冷蔵庫だけで完結するものもあれば,管理サーバーからのデータ取得やWebブラウザ経由の冷蔵庫操作など,インターネットを介して連携するケースもある。ソフトウエアの視点から見ると,それなりに複雑なシステムといえる。

 さて,ソフトウエアを開発した経験がある読者なら身に染みて実感されていることと思うが,バグの無いソフトウエアを開発することは非常に難しい。そして,プログラムのサイズが大きくなると,それを実現する難易度は飛躍的に高くなる。先に,それなりに複雑なシステムになっていると紹介したのは,今回の試作品開発においてデバッグが極めて難しかったことを知ってもらいたいからだ。デバッグにはかなりの時間を費やすことになった。

 デバッグに時間がかかると,結果的に開発コストが高くなる。そして,それは「どこまでデバッグすればいいのか?」という問題に行き着くわけだが,ここでパソコンと家電製品に対する利用者の意識の違いが,強く影響してくることに気づいた。

 パソコンでは「フリーズしたらリセット」という感覚が利用者に受け入れられたため,多少のバグは許容されているのではないだろうか。作業中のデータが消えることに対する不満は募るけれど,少なくともリセットを押すという行為そのものは一般的に受け入れられているように思う。つまり,開発者が予期していなかった事態に対する最後の逃げ道としてリセット・ボタンを使うことが許されていて,時間とコストを考慮してデバッグできるのがパソコン向けののソフトウェアといえるようだ。

 一方,家電機器などの電気製品の場合はどうだろうか。「Webブラウザで冷蔵庫の温度を変更できなくなったのでコンセントを抜き差しする」--。こうした行為をユーザーは受け入れてくれるだろうか。冷蔵庫をはじめとする,いわゆる白物家電(冷蔵庫,電子レンジ,洗濯機など)はコンセントにつないで電源を入れれば,黙っていても動きだすという感覚が当たり前だ。もし,取り扱い説明書に「応答しなくなった場合はリセット・ボタンを押してください」と書かれていたら,欠陥品というレッテルを張られてしまうだろう。つまり開発者に「この事態は予期できませんでした」という言い逃れを許さないのが,家電機器向けのソフトウェアということになる。

 実は,この問題は家電機器に限ったことではないようだ。数カ月前,あるニュースサイトで携帯電話向けソフトの開発でも同じ問題に直面しているという記事を見かけた。私自身がそうなのだが,大半の利用者は電話を使っている感覚で携帯電話を操作しているが,述べたように今の携帯電話は音声通話機能を持ったコンピュータになりつつある。ここでも,実際の機器と,それを使う利用者の意識との隔たりが問題になっているらしい。

 高機能化する電気製品はますますコンピュータに近づいていくだろう。そこには,従来は考慮されなかった様々な問題が待ち構えているはずだ。紹介したリセット・ボタンの件は,その一例に過ぎない。セキュリティに関する問題や,ネットワーク設定の自動化に関する問題など,既に多くの議論すべき課題が見つかっている。複数の家電製品が構成する大規模な家電機器ネットワークが運用されるようになれば,そこでもまた新たな問題が生まれるだろう。そうした待ちかまえる未知の様々な問題に対し,利用者の快適さを損なわないような解決策を模索し,生活を豊かにしてくれるIPv6家電機器を開発・提供していきたいと考えている。

石原丈士
 2001年,東芝入社。IPv6情報家電の研究開発とMPLSを使った次世代IXの研究に従事。昨年度開発したIPv6冷蔵庫と電子レンジでは,主にユーザー・アプリケーションを担当し,情報家電が持つコンピュータ臭さを消すことの難しさを痛感した。現在は情報家電を含めた様々なIPv6製品が,すべての人に優しくなることを夢見て研究に励んでいる。