IPv6ネットワークが広く普及するとテレビやビデオなどの情報家電がIPアドレスを備え,ネットワークに接続すると言われている。そんなことを聞くと壁一面の大画面ディスプレイの前で連絡を取りあうTVアニメの光景を思い出す。筆者は子供のころ,こんなディスプレの前で「パパ,今日も早く帰ってね!!」と父に呼びかける光景を夢見ていた。しかし,残念ながら21世紀となった今でも,こうした通信メディアはまだ普及していないのが現状である。

 日本の住宅に大きなディスプレイを配置するスペース(壁)がないという問題もあるが,ネットワーク帯域の絶対的な不足といった問題もある。このネットワーク帯域の拡張には,ネットワークの基幹を支えているルーターやスイッチの高速化が必要となる。

 日立はIPv6本格導入時の通信データ量急増に備え,10ギガビット・イーサネット対応のIPv6ルーター「GR4000」,IPv6スイッチ「GS4000」をそれぞれ2003年7月,9月に製品化した。これらの機器開発において筆者は10ギガビット・イーサネット向けの高速化技術の開発を担当した。

 ご存知のようにイーサネット回線は,急速に広帯域化している。帯域100Mビット/秒のファースト・イーサネットの標準化が1995年,ギガビット・イーサネットが1998年,10ギガビット・イーサネットが2002年である。およそ7年の間になんと100倍ものスピードアップである。一方,これらの回線を実現するASICやメモリーといったデバイスは,ムーアの法則(注1)を仮定すると,多く見積もっても7年間でわずか(?) 30倍程度。研究者・設計者のパケット処理方式に関わる知恵が,残りの3倍分のスピードアップのために必要となった。

注1:「半導体に集積されるトランジスタの数は2年で2倍のペースで増大する」という米Intelの共同創業者ゴードン・ムーア氏が唱えた説。マイクロプロセサの速度は2年で約2倍のペースで向上すると理解されることが多い。

 GR4000およびGS4000の開発では,高速な10ギガビット・イーサネットに対応するため高速なハードウエアによる実装が前提だったが,ハードウエア化だけでは不十分であった。特にルーティング・テーブル検索処理とフロー検出処理が難関となった。

 ルーティング・テーブル検索処理とは,入力パケット内のあて先IPアドレスからこのパケットの転送先(次ホップIPアドレスやルーター/スイッチの出力回線など)を判定する処理のことである。一方,フロー検出処理とは,入力したパケットのIPアドレス,MACアドレス,TCPヘッダ内の情報などからこのパケットの属するフローを検出する処理である。検出したフローに対してフィルタやQoS制御などが行われる。

 IPv6のアドレス長がIPv4アドレスの4倍と長いため,本処理のIPv6パケットに対する性能がIPv4と比べ通常大きく劣化する。例えば,ルーティング・テーブル検索処理用のテーブルをツリー構造で記述する一般的な処理方式では,パケット処理性能は大雑把に言うとIPアドレスのビット長に反比例する。すなわち,IPv6パケットに対する性能はIPv4の4分の1となり,先ほどの3倍とあわせると12倍程度の高速化が必要となった。

 そこで,ハードウエアによる実装に加えて,前述のルーティング・テーブル検索処理,フロー検出処理向けに先端デバイスであるネットワーク機器向け連想メモリ(注2)を採用し,さらに,本デバイス専用の高速化方式の開発を行った。さらに,従来機GR2000で得たパケット処理のパイプライン処理技術,並列処理技術,高速デバイス活用に関するノウハウをこれらの処理の実現に向けてすべて適用した。

注2:検索用の高速デバイス。複数の検索条件を格納するエントリを複数備える。検索キーを本デバイスに入力すると,検索キーとエントリ内の検索条件の一致,不一致を判定し,一致するエントリのアドレスを出力する。

 GR4000やGS4000のようなハイエンド・ネットワーク装置は製品化時期が重要である。数カ月の製品化の遅れが,その製品の売り上げを大きく左右する場合もある。そのため,設計日程は非常にタイトであり,また,設計のマイルストーンは厳密に管理された。設計者は日々の進捗をチェックされる。

 そのため,予定外の事態が発生すると,我々設計者は音を上げたくなった。例えば,前述の処理を実際のASIC上に実現することを検討すると,時には期待していた周波数では全く動作しないことが判明した。また,新規機能の急な追加もあった。ネットワーク技術は日進月歩であり,次々と新しい技術が開発されるためである。しかし,「妥協のない製品を作りたい」という思いから,昼夜を忘れた対策を行った。例えば,ゲート(ANDとかOR)単位の地道な削減を行い,十分な動作マージンを確保した高周波数動作を実現した。

 以上に述べた新規技術,ノウハウなどを投入した甲斐あってGR4000およびGS4000を製品化することができた。NETWORLD+INTEROP 2003 Tokyoにおいて,GR4000はBest Of Show Awardグランプリ(キャリア・ISP向けインフラ),GS4000はBest Of Show Award特別賞(企業向けインフラ)を受賞するなど,非常に高い評価をいただいた。

 担当者としては,入賞したことはもちろんうれしいが,それ以上に,高速IPv6ネットワークへの道を開いたことをうれしく思っている。このネットワークが開く世界は前述のテレビ電話にとどまらず,無限に広がっている。それこそ,人間の生活自身を変えてしまうアプリケーションが登場することだろう。

 今後もIPv6高速ルーター・スイッチの提供により,この高速IPv6ネットワークに貢献していきたい。現在,更なる高速化の秘策を検討中である。「パパ,今日は早く帰ってね!」と今度は筆者の息子が大画面ディスプレーの前で笑っている光景を夢見ながら…。



矢崎 武己
1995年日立製作所入社。入社以来,ATMスイッチ,ハードウエア・ルーター,QoS制御技術の研究開発に従事。同社製ルーター「GR2000」「GR4000」およびスイッチ「GS4000」の開発に携わる。現在は,次世代ルーター・スイッチの検討や,高速回線対応のQoS制御機能の研究開発に従事。