セイコーエプソンでは新製品が出るたびに技術研修担当者を内外の事業拠点を回り,現地の販売店や補修センターの担当者を集めて研修をいてきた。このサポート体制がeラーニング化によって劇的に変わろうとしている。技術研修担当者らは教材用の簡単なテンプレートに説明図と作業手順などを書き込んだeラーニング教材を短時間で作成し,主要な言語に翻訳したものをサーバーに載せる。現地からはインターネットでeラーニング教材にアクセスし,分からないことは本社の担当部門に質問メールを送って解決する。本社の技術研修担当者は本社にいながら現地の担当者らの学習の進捗状況,理解度などを把握できるようになり,サポートに専念できるようになった。

セイコーエプソンのeラーニング導入状況

教育内容社員教育と製品に関する技術研修教育
社内研修におけるeラーニングの位置付けe-Service,e-Trainingを実現する主要なシステム
eラーニング導入のねらい自前の教材作成能力を持つことで即応性のある教育を実施
eラーニング導入の効果テンプレートを使った簡単な教材開発が動き出した
受講者への強制力情報セキュリティ教育ではアカウント取得の条件に
研修費用教材開発費は完全に外注するのに比べ20~30%
インセンティブ特になし
コンテンツ・ベンダー原則として自社内。一般的なコースはAICC対応のものを購入
システム・ベンダーロータス

●情報セキュリティ教育で強制力を行使,全社に浸透

 セイコーエプソンのeラーニングは2000年6月,マイクロソフトのOffice2000の研修から始まった。希望者を募り国内の社員1万4000人のうち約3000人が受講した。eラーニングの導入を進めてきた情報化推進部門の担当者は「ナレーション付きで立派な教材。デモンストレーション効果を狙った」という。

 2000年11月には情報情報化推進部門が担当する情報セキュリティ教育をeラーニングで始めた。教材は一転してHTMLベースのごく簡素なものになった。決して面白いというようなものではなく,放置したのでは学習は容易に進まないと思われた。しかし,セキュリティ教育は洩れがあっては意味がない。一人の例外もなく受講させなければならなかった。そこで,2001年11月からはルールを変更し,情報セキュリティのコースを修了しなければLANへのアクセスに必要なID/パスワードを発行しないことにした。社員のほか,派遣社員などネットワークにアクセスできる人はすべて含まれるので,教育の対象は2万3000人に上った。大人数だったが,“強権発動”のおかげで全員がクリアした。こうしてセイコーエプソンの社内にeラーニングが浸透した。

 セイコーエプソンの情報化推進部門が考えたeラーニング活用策は,単にeラーニングを使って学習することだけではなかった。研修を実施する部門の担当者が自前でeラーニング教材を作成できる能力を持ち,必要なときに必要な教育を実施できるようにすること――これが本当のねらいだった。

 なぜ内製化なのか? これには(1)1コース500万円以上といわれるeラーニングの教材教材開発コストを抑える,(2)外部に委託したのでは教材開発のスピードが追いつかない,(3)教材を内製化することで社内に教材開発のノウハウが蓄積する,(4)外注化によるノウハウの流出を防げる――などの背景があった。

 全社員のeラーニング学習を進める一方で,部門ごとの教育研修担当者にオーサリング・ツールの使い方を学習してもらった。HTMLの基本からMacromediaのAutherware,Flash,Fireworksなどのソフトを使って自在にeラーニング教材を作れるようにしようとした。しかし,この試みは挫折した。担当者の多くはHTMLなどでWebのページを作成するなどの経験もなく,基礎的なスキルがなさすぎた。いきなり高度なマルチメディア・コンテンツを制作できるようにしようとしたことに無理があったようだ。

●簡単なテンプレートで教材開発できる仕組みを作る

 コンテンツ内製化作戦は急きょ,方向転換した。さしてスキルのない人でも容易にeラーニング教材を作れるように,テンプレートを用意した。このテンプレートに教育内容を書き込んだものをeラーニング部門に持ち込めば自動的にeラーニング教材に変換して,サーバーにアップしてもらえるようにしたのだ。

 技術指導に必要な製品の図などは,マニュアルを作成する部署が持っているデータをeラーニング教材に流用できるようにした。これならeラーニング用に新たに図を作成しなくて済む。できあいの図を貼り付けるだけで大半の説明画面は作成することができる。

 テンプレートは本社の教育研修部門用にHTMLベースとテスト用,事業部門用にパワーポイント・ベースのものを用意した。HTMLベースのテンプレートは教材タイトル部とその中の項目名を並べた各章タイトル部,各章のタイトルをクリックすることで呼び出す説明内容の画面で構成している。説明内容の画面は作成者が説明図,解説の文章などを自由に作成できるが,そのためには教材作成用のツールを使うことのできるテクニカル・スキルが要求される。テスト用のテンプレートは4択式の問題とその解答・解説を書き込む枠が用意され,それぞれ文字を入力するだけでテストのページができる。

 パワーポイント・ベースのテンプレートはHTMLベースに比べ自由度がないが,操作は簡単だ。パワーポイント形式で,教材タイトル画面とレクチャ画面があり,レクチャ画面は説明図を貼り付ける枠と解説の文章を入力する枠がある。データを入れれば自動的にeラーニング教材に変換できるようにしている。

 2001年春にはHTMLベースのテンプレートを使った内製教材「品質工学」が出来上がった。現場の設計者などが品質の考え方を製品に生かすための基本的な知識を学習し,製品化の日程を短縮するなどのために必要な教育だ。もともと集合教育のために作った教材があったので,それを整理しなおし,テンプレートに流し込んだだけでeラーニング教材にすることができた。

●教材を作る能力は教育研修の重要な要素

 セイコーエプソンのeラーニングが特に先進事例と言えるのは,各事業部門がeラーニング教材の作成能力を修得し,必要な時にすばやくeラーニング教材を関係者に流すことができるようになったことだ。背景には事業部門からの期待があった。eラーニングの試験運用が始まってまもない2000年夏,本社の情報化推進部門の担当者がある事業部から相談を持ちかけられた。「新製品が出るたびに,技術研修担当者が海外の営業拠点を回り,メンテナンスなどのサポートのための技術研修をする。研修は製品の内容が固まってから発売までのごく短期間に実施しなければならない。研修用の資料も相手国・地域ごとに別々の言語に翻訳したものを用意しなければならない。何より担当者の移動が大変だ。eラーニングで研修できれば,製品の技術サポートは一気に改善されるはずだ」。eラーニングの担当者は事業部門の期待感が思った以上に大きいことに驚いた。

 とはいえ,各事業部門の技術研修担当者が一足飛びにオーサリング・ツールを使って質の高いマルチメディア教材を作れるようにするのは現実的ではなかった。教材開発のスピードからいっても簡単に作れる仕組みが必要だった。パワーポイント・ベースのテンプレートはこうした事業部門のニーズを考えて用意した。

 教材制作を情報化推進部門が請け負うことは絶対に避けたかった。あくまで主管部門主導を貫いた。そのためにテンプレートを用意することは必須の条件だった。それでも出来上がったeラーニング教材が実際に動くかどうかの動作確認などは情報化推進部門が支援しなければならなかった。

 セイコーエプソンのeラーニング導入は行動規範,専門知識,ノウハウ――の3つの分野で進めている。行動規範は情報セキュリティをはじめ,安全保障貿易管理,環境などの項目で役員も含め全員必修だ。専門知識はPCスキルから品質工学,QC(品質管理),特許教育など部門により選択的に学習するもの。行動規範と専門知識は社内のeラーニングシステム「EPSON WEB CAMPUS」に載せ,全社共通で使うことができるようにしている。

 3つ目の「ノウハウ」はセイコーエプソンの製品であるプリンタやプロジェクタなどについての製品知識,技術ノウハウ,サービス知識に関するもの。コンテンツ開発にあたり,納期短縮,コスト引き下げなどの厳しい要求に堪えられなければならない。それぞれの製品担当の事業部が開発にあたり,EPSON WEB CAMPUSとは別の事業部門専用のeラーニング・システムに載せて内外の拠点に流している。

 2001年末時点でのeラーニング教材数は30本。このうちEPSON WEB CAMPUSに載せたものが15本,事業部門がパワーポイント・ベースのテンプレートで作成したものが15本だった。このうち,3分の2は社内で開発したものだった。

 多くの企業が教育研修に力を入れている。その際の教育研修能力には教材開発能力も含まれる。セイコーエプソンの取組みは教材開発という最も基本のところから教育研修の仕組みを構築しようという試みだ。

松本庸史=編集委員室主席編集委員