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 米国のITブーム時に,社員の「やる気」を引き出す制度として注目されたストック・オプション制度。日本でも昨年の商法改正に伴い,この制度を導入する企業がグングン増え,今年中には上場企業全体の3分の1に当たる1200社に達する見通しだ。しかし,こうした日本の動きとは全く逆に,米国ではストック・オプション制度の見直しが進んでいる。

 例えば米Microsoftは今月,同社のストック・オプション制度を廃止し,これに代わって現物株を社員に支給すると発表した。米国ではEnronやWorldComなどの不正会計処理(関連記事)への反省から,FASB(財務会計基準審議会)がストック・オプションの会計処理を厳格化することを検討中である。米Intelをはじめとした米IT企業は,軒並みこの動きに反対してきた。しかし今回のMicrosoftの動きは,ストック・オプションの会計処理が厳格化されることを予想し,これを早々と受け入れた格好だ。

 米国の並み居る「急成長」企業の中でも,Microsoftはストック・オプション制度を効果的に使って,社員の能力をフルに引き出してきた企業の筆頭だ。今回同社がストック・オプションに背を向けたことにより,同じような動きは米IT業界全体に広がると見られている。

 もちろん多くの企業は,ストック・オプションを一挙に廃止してしまうのではなく,徐々にその比率を減らして行く方針だ。Mercer Human Resources Consulting社が,シリコン・バレーの134社を対象に実施した聞き取り調査では,全体の約3分の2が「今後ストック・オプションの比率を減らし,代わって現物株の支給を増やして行く」と回答した。

入社時期の違いだけで社員間に大きな格差が生じる

 ストック・オプションから現物支給へ――。IT企業が従業員へのベネフィット(給付)制度を急転換した背景には,「(つい最近までの)株式市場の低迷」「企業の会計スキャンダル」あるいは「従業員の意識変化」や「会計基準の見直し」など,いくつかの要因がある。これら複数の要素は,ストック・オプションの仕組みを軸にして,相互に絡み合っている。

 そもそもストック・オプションとは「社員が,あらかじめ設定された価格で自社株を購入する権利(オプション)」を意味する。この価格は「オプション行使価格(exercise price)」と呼ばれ,通常この社員が入社した時点の株価に設定される。この会社が伸び盛りの新興企業なら,たいていの場合,数年後に株価は大きく上昇しているはずだ。この段階でこの社員が,入社時に決めた(安い)行使価格で自社株をまずは購入し,それを素早く売り抜ければ,株価の上昇分が差額として社員の懐に入る。90年代後半のITバブル時代には,この「差額」が途方もない金額になったため,現代のシンデレラ・ストーリーとして世の注目を集めたわけだ。

 例えばMicrosoftは,90年代のITバブル以前からストック・オプション制度を導入していた代表的企業だ。New York Times紙によれば,ストック・オプション制度によってMicrosoftは,通算1000人以上ものmillionaire(いわゆる億万長者)社員を生み出したという。

 ところが同社株価が60ドルでピークを打った1999年12月以降に入社した社員は,同じような恩恵のおすそ分けを受けられなくなった。なぜなら,入社時に決められる行使価格がピーク時の株価に設定されてしまい,以降,株価は下がる一方であるからだ。つまりオプションを取得した社員が,いざ数年後に自社株を購入するときには,例えば20ドルまで下がったMicrosoft株を60ドルで買うという馬鹿馬鹿しい事態が生じてしまう。

 もちろんオプションは無理に行使する義務はないので,株価が下がってしまった場合,社員のだれも株を買おうとはしない。この場合,オプションはただの紙切れ同然になる。社員は得もしない代わりに損もしないが,もともと大幅な上昇をあてこんだ事実上のボーナスであるから,これを不意にした社員の失望は大きい。

 Microsoftの社内では,バブル期以前に入社した社員と,それ以降に入社した社員との間で,一種の“身分制度”のような格差が生じてしまったという。すなわち前者は,低い行使価格で高額の株式を大量に取得して,大儲けした。彼らは今後の業績や労働時間のいかんによらず,優雅な人生を送れる,いわば「貴族」社員だ。一方,後者はそのチャンスを逃し,いくら働けども大金持ちになれない「平民」社員である。

 両者の違いはどこから生じたかというと,単に入社時期だけだ。こうなると「平民」社員が不満を抱くのも,やむを得ない。これと同じような現象が,Microsoft以外の企業にも多かれ少なかれ発生し,シリコン・バレー全体にストック・オプションに対する反感が広まって行った。

だれかが得をする陰で,必ずだれかが代償を支払っている

 こうした苦いプロセスを経て,シリコン・バレーの社員たちは今,ストック・オプションの代わりに現物株を要求するようになった。これだと仮に株価が下がっても,何らかの価値は残るわけだ。オプション(単なる権利)ではなく,本物の株を会社からもらう以上,それは当然である。もちろん株価が上がれば,その上昇分が差額としてボーナスになる。この点も社員にとっては申し分のないことだ。

 では,そもそも,なぜ企業側は現物株の代わりに「オプション(取得権利)」などという,ややこしい制度を導入したのか。

 それは,これまでの会計制度が,ストック・オプションに対し,極めて甘い扱いをしてきたからだ。すなわち,企業は社員に与えたストック・オプションを「経費」として計上する必要が無かったのだ。オプションとは「現物株」でも「現金」でもない,単なる「権利」である以上,それは経理上,コスト「ゼロ」と解釈されたのである。つまり与える企業から見ればタダであるが,それをもらう社員にとっては一獲千金の価値があるという,何とも不思議で怪しげなベネフィットが,ストック・オプションなのである。

 しかし,いくらなんでもこれでは話がうますぎるというものだ。企業側にしてみれば,ストック・オプションを餌に優れた社員を釣り上げ,彼らを思う存分働かせることができる。しかも,そのためにかかる費用はゼロで済む。社員側にしてみても,数年後に株価が急上昇して,巨万の富を得ることができる。

 企業も社員も万々歳だが,これではまるで無から有を生み出す錬金術だ。本当はどこかにトリックが隠されているはずなのだ。つまりだれかが得をする陰では,必ずだれかがその代償を払っているはず。これまでのストック・オプション制度では,そのカラクリが巧妙に隠蔽されてきたのだ。

目立たずにじわじわと1株の価値が薄められ,一般の株主が損をする

 そのカラクリとはこうだ。ストック・オプション制度は,いずれは社員がこれを行使して,企業から自社株を購入することを前提としている。逆に見ると,企業はこの段階で,その後値上がりした株を,昔定めた安い行使価格でこの社員に売り渡さねばならない。つまり事実上,この「売り渡す段階」で,企業は損をしていることになる。だから本当なら,これが企業の支出(経費:expense)として,会計処理されねばならないはずだ。

 ところが現在の会計制度では,そうした処理を要求していない。オプション行使の際には,企業は単に新株を発行するか,あるいは昔,株価が低い時にこの企業自らが買い貯めた,いわゆる「金庫株」を社員に売ればいい。いずれにしても,事実上はタダか,あるいはそれに近いコストで社員に自社株を譲り渡すことができる。

 この社員はものすごい金額を得したことになるが,だれがそのコストを負担したかというと,これは「彼以外の株主たち」ということになる。なぜなら「新株発行」にしても「金庫株の放出」にしても,市場に出回る「同社の株式」数が増加したことを意味するから,これは「1株の価値」が薄められたことを意味する。例えて言えば,一国の中央銀行が紙幣をジャンジャン増刷するようなものだ。ストック・オプション制度では,この「中央銀行」が「企業」に,「紙幣」が「株式」にすりかわったと思えばいい。

 ストック・オプション制度では,ある社員がオプションを取得してからそれを行使するまでに,数年間のタイムラグが存在するところがポイントだ。何百人,何千人の社員が同時にオプションを行使して,株を取得することはあり得ない。ある程度のタイム・スパンの中で,多数の社員がてんでんバラバラにオプションを行使するであろうし,実際は行使しないで権利を保持し続ける人もいる。

 このように,ある程度の時間をかけて,じわりじわりと「市場での株式数の増加」が進むので,「1株の価値が薄められる」という短所が隠されてしまうのだ。さらにこの間も,この企業が急成長を続け,株価が上昇すれば,そうした短所はなおさら,だれも気にしなくなる。しかし実際は,社員がオプションを行使する度に,1株の価値は確実に薄まっているのだ。すなわち,この企業の株価が上昇している時でさえ,もしオプション行使がなければ,「株価はもっと上昇していたはず」なのだ。

ギャンブル的な経営の温床となる

 ストック・オプション制度のさらなる問題は,やはりこれもオプションが「株式という実体」ではなく,「単なる取得権利」に過ぎないという点に起因している。

 ストック・オプション制度が,社員や経営陣のやる気をうながすという点は,確かに間違いない。自らの努力や創意工夫が企業業績の向上に結びつき,それが株価の上昇に結びつき,ひいては自分も儲かるという三段論法である。しかしオプションが単なる権利にとどまる以上,経営陣の努力は,攻撃的姿勢に終始しがちだ。いや「攻撃的」経営ならまだしも,株価を急激につり上げるために,一獲千金を狙った「ギャンブル的」経営に陥る可能性が高い。

 なぜなら経営者は,自らが保有するストック・オプションによって,少なくとも「損をする可能性はゼロ」であるからだ。攻撃的,あるいはギャンブル的な経営が失敗して,企業業績が悪化し,株価が下がったとしても,オプション(株の取得権利)を行使しない限り,この経営者は損をしないのである。せいぜい「大金をつかみ損ねた。ああ残念」というくらいなものだろう。

 結局,「何をやっても自分は損しない」というセーフティ・ネットが用意されている以上,経営者はとにかく株価の上昇を目指した攻撃的経営に終始しがちだ。これがもしオプションではなく現物株の保有制度だったら,経営の失敗は即,経営者個人の富の減少に結びつく。したがって経営者は,もっと慎重な企業運営をするはずだ。

制度見直しの要点は「ストック・オプションを経費として計上」すること

 以上のようなストック・オプション制度の様々な欠陥が一挙に露呈したのが,2001年のEnron事件に端を発する,一連の会計スキャンダルなのである(関連記事1関連記事2)。

 EnronやWorldComの経営者は,いわば「自らお手盛り」のストック・オプションを大量に取得し,粉飾決算をして業績を良く見せかけ,株価をつり上げた。ピークに達した段階でオプションを行使して,即座に売り抜ける。これがITバブルの崩壊と機を同じくして株価は下降に転ずるが,経営陣が市場に放出した大量の株式が下落に拍車をかける。この結果,平社員の持ち株やオプションは無価値の紙切れになる,という図式である。

 今,米国のFASBが指摘し,直そうとしているのは,まさにこうした問題なのだ。FASBがやろうとしているのは,企業が社員にストック・オプションを与えた時点で,これを帳簿上の支出(経費)としてキッチリ計上させることだ。

 冒頭で紹介したように,Intelをはじめシリコン・バレーのハイテク企業はこれに反対しているが,その理由として「ストック・オプションの価格を把握できないから」としている。確かに社員にこれを付与する時点では,単なる権利に過ぎない上,数年後に社員がオプションを行使する時点の株価(市場価格)を企業は予想できない。このようにオプションの価値を把握することができないとすれば,いくらそれを社員に与えたところで,それにかかった経費を算出することができない,というのだ。

 これに対しFASBは,「Black-Scholesモデルを使えば,ストック・オプション価格を見積もることは可能だ」と反論している。

 米国でストック・オプションに関する会計基準が定められたのは1972年のことだ。この時点では,ストック・オプションの理論価格を評価する方法は存在しなかった。従って「ストック・オプションを経費として計上しない」というのは,やむを得ない取り決めでもあった。しかしその翌年の73年にBlack-Scholesモデルが登場し,やがてこれがオプションの理論価格を計算するために広く用いられる評価式として定着した。「こうなった以上,企業はこれを使って社員に与えたストック・オプションを算出し,これを経費として計上せよ」というのがFASBの主張なのである。

 実際,ストック・オプションの廃止を発表したMicrosoftは,同じ記者会見の場で「仮にストック・オプションを経費として計上した場合のバランス・シート」も明らかにしている。それによれば2002年の税引き前利益(pretax income)は,ストック・オプションを経費として組み込むと,そうでない場合より36億ドル減少するという。これは同社の税引き前利益の32%に相当する。現時点で未消化のMicrosoftのストック・オプションは15億株相当もあるが,このほとんどは行使されないだろう。先に紹介した通り,それらの大多数は同社が成長し切った後に与えられたオプションであるから,株価が急落した今となっては何の価値もないからだ。

 いずれにせよ,同社は途方もない量のストック・オプションを社員に与えていたことになる。これはMicrosoftばかりでなく,他のIT企業にも言えることだ。もしFASBの要求通りストック・オプションが経費として計上されれば,こうした企業のバランス・シートは大幅に悪化する。これを恐れて彼らは会計基準の変更に猛反対しているのだ。

 とはいえ,合理的に考えればFASBの主張はもっともなのだ。ストック・オプションは本来「錬金術」ではあり得ず,それを発行することは,どこかに必ずコストが生まれることになる。それを覆い隠し,何食わぬ顔で他の株主に損失補てんをさせていたのが,これまでの制度ということになる。

米国を後追いした日本では,導入した途端に役立たず?

 これに対し,バランス・シートにストック・オプションの経費をきちんと反映させれば,一般の投資家はそれを承知でその会社の株を買うことになる。このように透明性が確保されれば,仮に株価が下がっても,今度は投資家の責任ということになり,これは筋が通る。こう考えると会計基準の変更は必至である。Microsoftもこの流れには抗し難いと見たから,一歩先んじてオプションから現物支給へと切り替えたのだ。

 Microsoftが社員に支給する現物株は,Restricted Stockと呼ばれ,「数年間をかけて徐々に支給され,その間は市場で売却できない」といった制限がつけられている。これは日本企業の伝統的「持ち株」制度に近いもので,社員を引き止めるための手段ともいえる(日本の場合,自社株はタダで与えられるのではなく,社員自らが買っているが,「ずっと持ち続け,愛社精神に寄与する」という点で,日米の制度は似ているだろう)。

 Microsoftは「ストック・オプション」に象徴される攻撃的な成長企業から,Restricted Stockに象徴される保守的な安定企業に変貌しつつある。これは多かれ少なかれ,他の主力IT企業にも当てはまることだろう。成熟化したIT業界では,ベネフィットとしてのストック・オプション制度は,もはや「時代遅れ」なのかもしれない。

 冒頭で「日本企業の間では,むしろストック・オプション制度が広がっている」と紹介したが,実は導入した途端に「役立たず」になっているケースが多い。ここに来て日本の株式市場にも明かりが見え始めたとはいえ,今年春までの株価の低迷によって,オプション行使率は15%程度に留まっている。また米国同様,企業の経費にストック・オプションが組み込まれていないことへの批判も強い。

 なんだか社員がストック・オプションのご利益を満喫する前に,バブル崩壊の嵐が来て,根こそぎ奪われてしまった感がある。後に残ったのは形骸化した制度だけだ。EnronやWorldComのスキャンダルが起きた時にも指摘されたことだが,日本が大慌てで導入した米国製「グローバル・スタンダード」が,ここでも齟齬(そご)をきたしているようだ。