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 12月13日土曜日,駿河台の明治大学リバティータワーへ1年ぶりに出かけた。私の主宰する情報化研究会の大会を行うためだ。

 10時に自宅を出て,大手町のKinko'sに向かった。講演資料のコピーと製本を頼んであったのだ。数千枚のコピーと製本は,独力ではとてもできない。印刷屋に見積もりを取ると14万円ほどかかるものがKinko'sに持ち込むと同じスペックで6万円。しかも24時間でできあがるという。印刷サービスでも革命が起こっているようだ。大手町からリバティ−タワーまではタクシーでワンメーターだ。

 会場は11階の教室。事務局を手伝ってくれるIさんはじめ4人が待っていた。好天に恵まれ,教室後部の広い窓からは青い空と明るく照らされた神田駿河台の街並みがきれいに見える。研究会のテーマは「ユビキタスとIP電話で日本のネットワークを革新する」。相変らず大風呂敷だ。CSK取締役副会長の有賀貞一氏,総務省情報通信政策局技術政策課長の稲田修一氏,そして私の3人が講演。有賀さんと稲田さんは20年間,研究会を一緒にやって来た仲間だ。

 今回はお二人の講演のエッセンスについて書こうと思う。

ソフトウェア生産の革新

 有賀さんの講演テーマは「高品質,高信頼性ソフトウェアを生産性高く開発する−情報サービス業界の変革とエンジニアリング化」だ。多岐にわたる講演内容を私のフィルタを通して大胆に要約すると,「日本のソフトウェア産業の国際競争力を高めるためには,従来の暗黙知に頼った非科学的ソフトウェア生産から脱却し,クルマの生産と同様に計測・分析・改善が可能な形式知に基づく可視化・数値化された開発方法に転換せねばならない。そのためには標準化されたITスキルを身に付けた人材の育成が肝要」,となる。

 暗黙知とは体験に根ざす個人的知識であり,明確に言葉にされていない知識やノウハウだ。「職人芸」というのは典型的な暗黙知だろう。暗黙知の欠点は他人に伝達できないため,全体の生産性向上に活用できないこと。形式知とは数式や言葉で表わされた知識であり,形式化が可能で容易に伝達できる。マニュアルがその典型だ。

 有賀さんによれば日本の情報サービス業界には56万人のSEがいるが,大半が専門教育を受けておらず,その技術レベルは著しく低い。例えば情報処理技術者試験の合格率は年々低下しており,学生やユーザー企業にも負けることがある。こんな人材が“バグはあって当たり前”という,質より量のソフトウェア開発をやってきた。しかし,情報システムのトラブル頻発は大手情報サービス会社さえ営業赤字に転落させるまでになっており,ユーザーも品質とコストの両立を要求するようになった。品質と生産性の両立には可視化されたソフトウェア生産方法と,暗黙知でなく形式知である標準化されたスキルを持つ人材育成が必要ということだ。スキルの組み合わせとしてプロジェクトを構成し,生産プロセスを数値的に計測,分析,改善するのだ。標準スキルとして経済産業省が定めたのがITSS(ITスキル標準)だ。プロジェクト・マネジメント,ITスペシャリストなど11の職種に分類し,それぞれをさらに38の専門分野に細分化,各分野に能力や実績に基づく7段階のレベルを規定している。

 有賀さんによれば,将来,認定されたスキルによる仕事の制限もありうるとのこと。つまり,1級建築士でないとビルの設計ができないように,データベースのスキルがない人にはデータベース設計はさせない,というものだ。

 これはIT業界で働く人には厳しい制度だが,考えてみれば設計できない人に設計させるからトラブルが起こるのであり,当然のこととも言える。

 何の資格も持たない筆者など真っ先に仕事がなくなるのだろうか。そんなことはない。設計や開発も100%,論理や形式知ではない。設計にまず必要なのは,設計者の価値観や技術・業務要件の大きな流れをベースにしたポリシーであり,創造的発見つまり閃きも重要だ。ただ,それが占める割合は10%未満だろう。だから有賀さんの言うようにソフトウェア生産に製造業の考え方を取り入れるのは有効だと思う。

 そしてIT業界は2種類の人に分類できるようになるだろう。プロジェクトを構成する標準スキルを持った「歯車」として組み込まれる人と,10%の暗黙知で勝負する人だ。皆さんはどちらを目指すのだろう。

ユビキタスの本質とソフトウェアの爆発的需要

 稲田さんのテーマは「ユビキタス時代のネットワーク戦略」。筆者はユビキタスを勉強したことがなかったので稲田さんの講演を楽しみにしていた。本を買っても,なかなか読んで勉強する気にはなれないものだが,講演はその時間集中して勉強できるのがいい。ましてや総務省でユビキタスの旗振り役を努めている稲田さんが講師なのだから,またとない勉強の機会と言える。稲田さんの講演も私なりに解釈して大胆に要約すると,「ユビキタスとはどこにいても,ネットワーク,端末,コンテンツをコンピュータやネットワークの存在を意識せずにストレスなく利用できること。その有力なツールの一つである電子タグはネットワークと結びついて情報へのアクセスを容易にするキーとなり,モノと情報を結びつけて消費者への責任所在の明確化(例:トレーサビリティ)や新しいサービスの開発(例:ガソリンスタンド,保険会社,自動車会社のサービスをクルマの電子タグをキーに連携)を可能にする」,となる。

 私はユビキタスが「どこでもコンピュータ」と言われるように分散処理指向のものかと思っていた。しかし,講演の中に分散とか集中という言葉は出なかったが「ユビキタスの本質は情報の超集中」だと分かった。電子タグの付いたさまざまなモノが生産され,流通し,消費者が持ち運ぶ。その履歴は要所要所でネットワークを介してデータベースに蓄積され,必要なところで電子タグをキーに照会され活用される。電子タグでアイデンティファイされたモノの情報が一カ所に集まるから付加価値が生まれるのだ。

 米Walmart社は2005年1月までに取引高上位100社のサプライヤに対して納品する商品の全ケースにタグを付与することを要請するという。これが実施されると年間10億個のタグが使われることになる。Walmartはタグによって商品の流通を追跡し,米国ではありがちな商品の紛失が発生した場合,その責任所在を明かにし損害賠償を可能にする。情報へのアクセス・キーであるタグは商品の数だけ超分散,そして付加価値を生む情報は巨大なデータベースに超集中,ということだ。

 ユビキタスは既存商品への付加価値を生み,多様な新しいサービスを生み出すことは間違いない。そこで重要になる技術は稲田さんによるとQoSとセキュリティだという。クルマの運転制御にかかわるようなシステムは一瞬の遅延が人命にかかわる事故を招く。ネットワークやシステムはQoSがしっかりしていなければ使えない。超集中された情報にはプライバシや企業機密にかかわる情報が含まれる。間違っても漏洩や改ざんがあってはならない。

 ユビキタスはアプリケーション・ソフトウェア,そしてインフラとしてのQoS,セキュリティをつかさどるソフトウェアの爆発的需要を生む。ここで有賀さんと稲田さんの話は私の頭の中でリンクが取れた。来るべきユビキタス時代には,高品質・高信頼性のソフトウェアが低コストで生産され大量に供給されなければならない,ということだ。

何のために仕事してるんですか

 研究会の後,駿河台で打ち上げ,銀座で二次会をした。その銀座で,この日一番印象に残った言葉を聞いた。私と稲田さんの前にすわった若い女性が稲田さんに質問した。「何のために仕事してるんですか?」。単純だけどすごい質問だな,稲田さんはどう答えるだろうと顔を見た。間髪入れず答えた。「皆さんを楽しくするためです」。

 ユビキタスを始めとする新しい技術の利用ビジョンを広め,IT業界で働く人や消費者に夢を与える,ということだ。確かに稲田さんの講演を聞いているとユビキタスというのは面白そうだ,と思えてくる。それにしても,総務省の大課長に「何のために仕事してるんですか」と聞ける,若さと明るさはいい。思わずにっこりしてしまった。

 そして考えた。自分に同じことを聞かれたら稲田さんのように間髪入れず答えられるだろうか,と。すぐ思いついたのは「何のため」の答えにはならないが,「自分が楽しいから仕事をしている」のは間違いない,ということだ。

 何のため,を稲田さんほど短い言葉では表せそうにない。短い言葉で間髪入れず答えられるということはいつも「何のために」を考えているということ。大したものだ。皆さんならどう答えるだろう。

(松田 次博)

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松田 次博:情報化研究会主宰。1984年より,情報通信に携わる人の勉強と交流を目的とした情報化研究会(www2j.biglobe.ne.jp/~ClearTK/)を主宰。著書にVoIP構築の定番となっている技術書「企業内データ・音声統合網の構築技法」や「フレームリレー・セルリレーによる企業ネットワークの新構築技法」などがある。NTTデータ勤務。趣味は,読書(エッセイ主体)と旅行。