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ハードとソフトの機能に応じてさまざまなキーを加えては省いてきたキーボード。流れは大きく二つ。メインフレームとパソコンである。手元のキー配列が示すものは,コンピュータ史の写像に他ならない。

(本誌)

【前編】 キー配列に凝縮されたコンピュータの歴史

 私はキーボードを発注する立場で長年キーボードにかかわってきた。キーの種類やキーボードの配列,キースイッチの構造など,キーボードの要求仕様をまとめ上げて製品にするのが生業だ。その過程で,キーボード・メーカーからもユーザーの方々からも,いろいろな意見を聞くことができた。元来調査好きという性分もある。歴史の彼方にあるさまざまなリソースからキーボードについてあらゆる情報を収集してきた。

 その総決算と言えるのが,UNIXユーザーをターゲットとした「Happy Hacking Keyboard」というキーボードである。ファンクション・キーやカーソルキーはない。一般的なパソコンに付属するキーボードと比べると,特殊なキーボードの範疇に入る。取捨選択したキーとその配列は,ハードウェアとソフトウェアのキーボードの発展史に裏付けされたものだ。もっともキーボードの歴史は120年以上に及び,そのすべてが事実であるという確証はない。ただこれまで主に文字部分の配列について語られてきたキーボード論議に,別の視点を持ってもらえるきっかけになればと思う。

人が機械に妥協したタイプライター

写真1●欧文タイプライターのキー配列
いわゆるQWERTY配列はタイプライターのキー配列として1880年代に成立した。写真はブラザー工業が1961年に出荷した欧文タイプライター「JP1-111」。
図1●米ワシントン大学のAugust Dvorak教授が考案したDvorak配列
母音と子音をキーボードの左右に分けて配置することで,英文の入力時に右手と左手を交互に使って打鍵できる割合を増やすように工夫してある。
写真2●米Teletype社の印刷電信機「MODEL 33-ASR」
紙テープの読み取り,遠隔地の印刷電信機を制御して文字を打ち出す。通称「ASR-33」と呼ばれ,社名のTeletypeが印刷電信機の代名詞となるほどの売れ行きを見せた。写真はDavid Gesswein氏所蔵。
表●ASCII 文字コード表の制御コード
印刷電信機が遠隔地の印刷電信機を制御するために用意された。

 主要なキーの種類とその配列は,コンピュータが現れる以前から既に決まっていた。キーを押すことで印字ヘッドを紙に押しつけて印字する「タイプライター」のキーボードである(写真1)。

 タイプライターの場合,キーの配置は自由ではない。タイプライター特有の制約があったからだ。例えば,キーボードの上下の段のキーは,格子状ではなくずれて並んでいる。これはタイプライターのキーとキーの間に,別の段のキーを支えるレバーを通せるようにするためであった。当時のタイプライターのキーは,印字ヘッドを操作するレバーと直結していた。

 タイプライターはその後印字機構が電動式へと発展し,入力装置であるキーボードと出力装置であるプリンタとに機構が分かれた。つまり,キーボードは印字のための機械的制約から解放されたことになる。このとき新たなキーが追加された。専用のレバーによって操作していた改行操作(キャリッジ・リターン)を指示するための「Returnキー」である。一方で,レバーを通すための階段状のキー配列は,現在のキーボードに至るまでそのまま引き継がれてきた。

 初期のタイプライターでは,入力可能なアルファベットは大文字のみであった。小文字を入力できるように改良する過程で,大文字キーと同じだけの数の小文字キーを単に追加したものと,一つのキーに大文字・小文字のそれぞれを割り当てて必要に応じて切り替えるシフトキーを追加したものの2種類に分かれた。その頃手元を見ずにキー入力するタッチタイプが高速かつ視線の移動による疲労を軽減する入力手法として普及し始めた。その結果,暗記すべきキー数の少ないシフトキー式のものが生き残った。

 アルファベットのキー配列もさまざまな試みがなされた。タイプライターのキー配列は,英字キーの最上段を左から読むと「QWERTY」となることから,QWERTY配列と呼ばれた。タイピング・スピードが高速になると印字ヘッドが交差してしまうという機械部分の問題から,あまりタイピング速度が上がらないQWERTY配列に収束していったと言われている。1880年代後半のことだ。

 つまりQWERTY配列は人間が機械に合わせるという妥協の結果生まれたものだ。人間工学的な立場から見たキー入力のしやすさという点では,改良の余地があった。打鍵頻度の比較的高いキーを力を入れやすいキーボード中央に優先配置するものなど,QWERTY配列の以外の改良案が数多く存在した。だが改良案はどれも普及しなかった。その中で比較的認知度が高いと言えるのは,ANSIによって規格化されている「Dvorak」配列だ(図1[拡大表示])。Dvorak配列は米ワシントン大学のAugust Dvorak教授が考案したキー配列である。母音と子音をキーボードの左右に分けて配置することで,英文の入力時に右手と左手を交互に使って打鍵できる割合を増やすように工夫したものだ。QWERTY配列がデファクト・スタンダードであるなか,Windowsをはじめとする多くのOSが対応している。もっとも実際に多くのユーザーに使われるまでには至っていない。一般にパソコンのキーボードと言えば,米IBM社が1984年に出荷した「IBM PC AT」の付属キーボードに端を発するQWERTY配列の英語キーボード「101/104キーボード」あるいは101/104キーボードに日本語入力用の「変換」キーなどを追加した「106/109Aキーボード」のことである。通常はQWERTY配列以外のキー配列に触れる機会は滅多にない。この状況では,よほどのこだわりがなければわざわざQWERTY配列以外のキー配列に習熟しようとは思わないだろう。

遠隔操作に端を発する制御キー

 タイプライターではシフトとリターン程度しかなかった制御キーは,キーボードと制御対象の位置が離れるにつれてその数を増していった。遠隔地のマシンを制御するキーである。

 まず初めに登場したのが,2台の電動タイプライター相互のキーボードとプリンタの間を遠隔地間で結ぶことで文字による通信を実現する「印刷電信機」である。その製品名から「テレックス」や「テレタイプ」と呼ばれるものだ(写真2[拡大表示])。キーボードから遠く離れたプリンタを制御するために,文字以外のコードが数多く盛り込まれた。例えば,作表時の文字揃えに使う「タブ(TAB:Tabulate)」や,通信相手のベルを鳴らす機能などである([拡大表示])。

 文字を電子化するということは,それぞれ個別の文字にコードが割り当てられるということである。コード表に従って,「A」や「F」,「$」といった文字が再現される。これに対し初期のタイプライター,特に安価な普及機には数字の1と0のキーがなかった。1と0のキーがないタイプライターでは,数字の1は英字のIを,数字の0は英字のOでそれぞれ代用していた。タイプライターは,人間が印字結果を読み取れればそれで良しとしたため,数字と文字の明確な区別は必要なかったからだ。

 テレタイプでは,通信する相手が機械なので,数字と英字を区別できるように英数字のキーが個別に用意された。とはいえテレタイプの印字結果を読み取るのは人間である。文脈で0とO,1とIを判別できれば事足りる。そのため実際は1とI,0とOが混在して使われていたようである。しかしここにおいて,キー入力をコード体系に従って符号化するコンピュータ用キーボードのひとつの形ができたと言えよう。


八幡 勇一Yuichi Yawata

ピンチェンジ テクノロジープロモーター
PFU入社以来,ミニ・コンピュータ,サーバー,ワークステーションの開発に携わる。システム・サポート業務を経てPFU研究所に移籍。StrongARM搭載のPDA開発のかたわら,キーボードの配列および構造についてのヒアリングを重ね,東京大学の和田英一名誉教授の協力の下「Happy Hacking Keyboard」を世に送り出した。現在はピンチェンジに在籍。次世代キーボードを中心にさまざまな新製品の開発に従事する。