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図2 初期のARPANETのネットワーク図
ARPANETのノード(IMP)の配置と接続関係を示している。1969年12月は4ノード(左),1970年9月には9ノードに増え,大陸を横断するネットワークができ上がった(右)。

NCPと“レイヤー・モデル”の誕生

 1969年,IMPは4カ所のサイトに運び込まれた(図2[拡大表示])。UCLA,SRI(スタンフォード研究所),UCSB(カリフォルニア大学サンタバーバラ校),ユタ大学である。そして,世界初のパケット通信の実験が実施された。パケットはUCLAとSRIの間の電話回線を通じて,見事に伝わった(写真3,4)。

 あとは,ネットワーク・プロトコルとそれを実現するソフトウエアを開発するだけだ。通信プログラムの開発担当は,UCLAにいたスティーブ・クロッカークロッカーを中心とした研究グループが研究を重ね,1970年の中ごろにARPANET用プロトコル「NCP(エヌシーピー)」(network control protocol)ができあがった。

 NCPの開発過程では,のちの通信技術にも影響を与える重要なアイデアが二つ生まれた。一つはホスト同士が対等に通信するという考え方。それまでは,通信するホスト間に主従関係がある「マスター・スレーブ方式」が一般的だった。

写真3 SRI(Stanford Research Institute)のエントランス
ARPANET開始当初からしばらくの間,IPアドレスなどの割り当てを管理するNIC(network information center)が置かれた。
写真4 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の外観
世界最初のパケットはここからSRIに向けて送り出された。
 もう一つはプロトコルの階層的に構成する階層構造だ。「プロトコルを階層構造にしておけば,あとからいいプロトコルができたときに簡単にとりかえられるからね」(クロッカー)。

「コメントをお待ちしてます」

 クロッカーは,通信技術そのものだけでなく,通信技術を広く知らしめる方法についても大きな足跡を残している。技術をルールとして文書に書き記したことだ。「プロトコルのアイディアをちゃんと紙にしておきたかったんだ」(クロッカー)。こうしておけば忘れることもないし,多くの研究者がその技術を再利用できる。これが「RFC」(Request for Comments)の起源となる。

 ただ,クロッカーには心配があった。プロトコルを文書の形にしてルール化すると,その行為そのものにクレームがくるのではないかと思ったのだ。「政府の役人がやってきて,『おまえはどういう権限で勝手にルールを作るのだ』と横やりが入るのが怖かった。そこで,ルールのタイトルを『コメントをお待ちしてます(Request For Comment)』という形にしたんだ」。

 こうして1969年4月,最初のルールがクロッカーの手で書き上げられた(図3[拡大表示])。これ以降,RFCはインターネットのルールを提案,決定,公開する手段として定着することになる。

パケット交換を世界にアピール

 動き始めたARPANETに転機が訪れる。1972年のワシントン・ヒルトンでの公開デモがそれだ(写真5)。ホテルにはIMPやホスト,プリンタ,ディスプレイなどが持ち込まれ,遠隔地の人と対話したり,ゲームする様子が実演された。

 このデモは,国際会議「ICCC」(International Conference on Computer Communication)と併催されたため,これまでARPANETを見たことのない多くの研究者にもARPANETの存在を知らしめることになった。

スティーブ・クロッカー
NCP開発の中心的な人物。RFC1の筆者でもある。現在,1999年に自ら起こした米ロンジチュード・システムズのCEO兼Presidentを務める。
 その場にいたBBNのマッケンジーは,パケット通信が実際に動くことを世界中の通信の研究者に知ってもらったことが重要だったという。「当時の電話業界の人々は,このときまでまだパケット交換のネットワークが本当に動くとは信じていなかったんだ」(マッケンジー)。

 同時に開かれたICCCでも大きな成果があった。国際的なコンピュータ・ネットワークの研究組織「INWG」(International Networking Working Group)ができたことである。これによって,コンピュータ・ネットワークの研究が世界的な連携の下で進められる下地ができたのである。


図3 最初のルールとして書き記されたRFC(Request for Comments)1
タイトルは,「Host Software」。表紙の右上にはRFC管理を担当していた故ジョン・ポステルのサインが入っている(左)。RFCは当初,コピーを郵送していた。本文の一部には手書きの図が書き加えられている(右)。
写真5 ワシントン・ヒルトンの全景
1972年に一般公開向けのARPANETデモが行なわれた場所。同時に,第1回「ICCC」(International Conference on Computer Communication)が開催された。