PR

1984年、Macintoshが世界にお披露目された日、アップルコンピュータ社の作ったMacの広告に童顔の青年がいた。一人はロータス・デベロプメントで表計算ソフト「1-2-3」を開発したミッチ・ケイパー、そして当時パソコン向けソフトの多くを手がけていたソフトウエア・パブリッシング社のフレッド・ギボンズ、そしてブルーのポロシャツを着たビル・ゲイツ。

■Macintoshがデビューしたとき、アップルが作った雑誌広告にこんなのがある。ブルーのポロシャツを着ているのが若きビル・ゲイツ。「Macのためにビジネスソフトを一所懸命作ります」

表計算ソフトのExcelは最初Mac向けに作られた

写真は当時、パソコン販売店や雑誌広告として掲載された広告の一部だ。3人は、Mac向けソフトを開発するサードパーティ開発会社を代表して「これからMac用ソフトを開発していくためにじっくりと取組んでいく」とディーラーに向かって誓ったと言われている。スティーブはビルに電話を一本かけ、私の執務室に来てくれと言える仲だった。

発表前から有力サードパーティの元にはプロトタイプのMac(のようなパソコン)が持ち込まれ、「メモリーもハードディスクもプリンターもない」三重苦の中で過酷な開発が進んだ。そうして登場したのがグラフィカルユーザーインタフェースの良いところをふんだんに盛り込んだ表計算ソフト「Microsoft Excel」だった。1985年のことだ。

それまではキーボードの矢印キーで延々あっちに行ったりこっちに行ったり、挿入のコマンドを打った後、矢印キーで範囲を指定し、えいやっと貼込む。企業の損益計算書など大きな表になれば、それはそれはまだるっこしい作業を強いられていたものが、マウスでポイント&クリック、ドラッグ&ドロップでサクサクと、まさに「直感的に」作業ができるようになった。まさに表計算ソフトの革命だった。

Macの世界を見て、ビル・ゲイツはPCにもMac同様のGUIを載せたいとその後のWindowsの開発にいそしむことになる。

その後、一転して奈落の底へ

最初は文字と罫線を組み合わせたタイル状のウインドウシステム。Windows 1.0はMacとは似ても似つかない製品だった。しかし、その後改良がグングンと進み、Windows 2.0、Windows 3.1と開発が進むにつれ、WinodowsはMacにどんどん似てきた。洋画家和田 義彦画伯の作品がイタリアの画家アルベルト・スギの盗作と言われても仕方がないのなら、こちらはどうだったのか、と思わせるほどのできに近づいていった。

85年、当時社長だったジョン・スカリーはビル・ゲイツしてやられている。「アップルの技術をマイクロソフトに対して包括的にライセンスする代わりにWindows版のExcelの出荷を1986年10月まで押さえる」という密約を交わしてしまったのだ。この密約には「Excelの持つ視覚的効果はMacintoshのGUIから派生してくるもの」でこの視覚的効果についても、現在及び将来において全世界で使用料無しで使う許諾をするという付帯条件まであった。

その結果、Windows版のExcelは87年10月まで出荷されることは無かった。しかし、たったそれだけのためにMacのように見えてしまうさまざまな技術の開発をマイクロソフトに許してしまったのだ。1995年、米国最高裁判所は、地方裁判所の下した「マイクロソフトの行為のほとんどは1985年の包括的契約の範囲に入る」とした判断を支持し、アップルの訴訟を却下したのだった。

大手を振って出荷されたのがWindows 95だった。細部を子細に見れば違うかも知れないが、全体のありようはほとんどMacとそっくりだった。当時マイクロソフトの開発者に取材するとよく「マイクロソフトのクパチーノ研究所」という冗談とも本気ともとれる発言が飛び出したものだ。クパチーノとはアップル本社のあるシリコンバレーの町の名前だ。技術や人の流れはクパチーノからシアトルへ向かうという図式が長く続いた。

引退前に打ち合わせ済みか

アップルより一枚上手で、まんまとアップルの著作権侵害訴訟を押しのけてしまったビル・ゲイツが2年後には引退する。口の悪い人は他の製品をマネして、売れる製品をうまく作ると評するが、スティーブにとっては良きパートナーでもあったはずだ。

アップルが瀕死の状態にあった1997年。再びアップルに復帰したスティーブ・ジョブズはビルに1本の電話を入れた。「Mac向けのOfficeとInternet Explorerを今後5年間にわたってマイクロソフトが開発し続ける代わりに、1億5000万ドルでアップルの議決権のない株を購入する」という発表が行われたのはその年の8月だった。さらに、その発表の裏には「最近紛争のタネになっている特許紛争を収拾するためにマイクロソフトが、1億ドル(と見られる)を支払う」という条項もあったという。

ビルのいないマイクロソフトにはスティーブは電話をかけにくい。いい意味でライバルだった二人のうち、一人がいなくなる。スティーブの胸中やいかに、だ。

しかし、第一線を退くまでにはまだ2年ある。きっと、もう既に次期Mac OS X(開発コードLeopard)にWindowsをマイグレートするシナリオはもう打ち合わせ済みなのだと思う。