PR

 前回に引き続き、高校での情報教育についての座談会です。ゲストは高校「情報」の教科書作成などにも携わっておられる鳥取県立鳥取工業高等学校の足利裕人氏、筑波大学大学院の久野靖教授です。

 なぜ、今、情報教育が必要なのか、これからの社会を生きていく子どもたちに必要な情報教育はどういったものなのか、議論が白熱しました(編集部)。

座談会参加者足利裕人氏(鳥取県立鳥取工業高等学校進路指導部)
久野靖氏(筑波大学大学院ビジネス科学研究科教授)
コーディネーター兼宗進(一橋大学助教授)

左から順に兼宗氏、久野氏、足利氏
兼宗 プログラミング教育は、コンピューターそのものに対する理解が日本社会に広まるためにも大切だというのが前回の結論でした。それは確かに私も感じていて、たとえば、日本では情報技術者の地位が低いという問題がありますね。

久野 毎日夜中まで残業してがんばっても、それに見合った給料はなかなかもらえないようです。たとえばアメリカでは、情報技術者は専門性の高さに応じた処遇をちゃんと受けていて、給料も高い。インドや中国でもよい待遇を受けていると聞きます。ところが、日本では文系のほうが生涯賃金が高いといわれているように、もともと技術者全体の地位が低いように思います。

足利 教育現場でも似たような点がありますね。コンピューターを扱える教員が、特殊な存在に扱われる傾向があるように感じます。「彼はコンピューターに詳しいから、面倒な成績処理も書類作成も任せてしまおう」といった考えを周りの教員が持つようで、その人にばかりに負担がかかることが少なくありません。こういった状況は30年前からありましたが、これだけパソコンが普及した今でも同じようなことがあるのはどうなのでしょう。
 それで、本当はコンピューターが扱えるのに、転勤したらそれを隠して、わざとコンピューターを使えないふりをしている、などという人がいまだにいるという話も聞きます。

兼宗 コンピューターが安くなって、性能のいいものを誰もが買える時代になりました。しかし、それを活用できる人が少ないというのは非常に残念ですよね。コンピューターは、使いこなせる人が使えば、新しい、便利なことをどんどん生み出せます。本来、コンピューターの普及というのはもっと明るい話題だと思うんですが(笑)。
 日本はものづくりの国といっても、製造業に偏りすぎているのではないでしょうか。ソフトウエア産業の人材不足は非常に深刻なのに、製造業の人材不足ほど問題視されていません。

久野 目に見えないものにはお金を出さないという文化が日本にはあると昔から言われていますが、いまだにそれが残っていて、ソフトはハードよりも明らかに地位が下になっているのではないでしょうか。

兼宗 そうかも知れませんね。ソフトウエア産業において、日本はすでに市場でしかありません。ただひたすら海外製のソフトを買うだけの巨大な市場に。教育はこうした情勢を反映してしまっていて、消費者ばかり作ってしまっているように思います。クリエイターを育てる教育になっていないんですよね。

久野 プログラミングというのは、人類の歴史に初めて登場した、まったく新しいツールなんです。第三次産業革命といってもいいかもしれません。かつては論理性といえば数学や物理が代表格だったのですが、自分のイメージを具体化したり具現化したり、論理的に自分の考えを整理したりする新しいツールとして、プログラミングを使うべき時代は必ずやってくるはずです。

足利 まったく同感です。今までは紙や鉛筆の時代で、机上で計算して電卓をはじいていればよかったのが、今後はコンピューターやネットワークを動かしているプログラミングというものを、思考のツールとしてしっかりと位置づけなければいけません。
 木星を消したら地球の気温がどう変わるか、などといった、現実には確かめようのない実験もシミュレーションを作成すればできるわけです。実験しながら自分の考えが正しいかどうか仮説を立てて、それを検証し、デバッグしながら正しいものに持っていく。プログラミングでしかできないことが、世の中にはたくさんあります。

兼宗 自分でプログラミングはしなくても、システムを発注するなど、何らかの形でプログラミングの知識が求められる場面は、社会に出れば必ずあります。生産性を向上させるために、コンピューターは欠かせませんからね。そこで仕様を具体的に説明できなかったり、見積もりが適正か判断できなかったりしたら仕事に支障が出る。現実には、すでにそういう時代になっているんです。プログラミングについて、誰もが基本的な素養としてある程度の知識を備えている。そういう社会を実現するために、情報化教育は重要な役割を担っているように感じますね。

(構成 曽根武仁=百年堂、次回に続く)