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前回(29回)の話の続きです。

流行の言葉「セレンディピティ」にまつわるもうひとつのエピソードです。

社会人になって何年目のことだったでしょうか。何か雑誌を見ている時に、僕の出身大学の教授が人生の愛読書を紹介しているページを見つけました。その教授は僕が大学時代に縁のあった方なのですが、今だから正直に申し上げると、その当時はあまり尊敬していませんでした。

しかしながら自分に縁のあった教授だけに、愛読書として紹介されているぐらいなのだから、これは何かあるかもしれないと思って、その愛読書を注文しました(この時はすでにAMAZONがありました)。読んだところ、これまたビックリ。すごく衝撃的で「目からウロコ」の本でした。まさにその時の僕に必要な本でした。その本のタイトルを書くと、教授が誰か、ばれてしまうので(笑)、ここでは割愛しますが、その時に、やはり良くも悪くも、自分の人生において何らかの関わり方をもった人というのは、自分に何らかのメッセージを伝えてくれる人でもあることを知りました。

そして、僕はその教授の一面しか見ていなかったんだなと反省するとともに、出会うもののすべてから、素直に何かを感じようと、素直に行動してると良いことあるんだと、強く思いました。

認めている人の話を素直に聞くというのは、頑張れば誰にでもできる。でも素直に聞いて、行動に移すという人はかなり少なくなる。さらに、自分の認めてない人の話までも、素直に聞いて行動するとなるとさらに少なくなる。

でも、本当はそこまでできる人こそが、真のセレンディピティを得られる人間なのであって、そういう人は人生において、相当、得をするのではないかと思います。つまり、自分に届く情報や縁はすべて、自分のためになるぐらいに思い込んでいる人ということです。僕なんかは、もともと感動の薄い人間です。学生時代にエセバックパッカーを謳っていましたが、旅行した人が旅行先でいろいろなものをみて人生観が変わったと言っているのを聞いて、そういう風に劇的に変われる人間が、うらやましくて仕方がありませんでした。だから、僕は、劇的ではないにせよ、できるだけちょっとした変化を受け入れるように意識的に努力してきました。

考えてみれば、気乗りがしないようなイベントでも、行くと、行ってよかったと思うことがたびたびあります。行く前は辞めようかなと思っていたのに、行ってしまうとやっぱり行ってよかったと思う出会いやヒントがある。不思議なものです。これはそういう風にその人にとって定められた運命なのか、それとも行ったからには何らかのものを得て帰ってこようと思っているからの結果なのか、どちらかはわかりません。が、どうやら、そういうものなのだということはわかってきました。

でもわかっているのに、行くのが億劫になった時は、何か自分に言い訳をつくってしまいます。たとえば、行きたい気持ちにならないのであれば、それも自然なことだから、素直に従った方がいい、などとうそぶくわけです。確かに気乗りしないならやめた方がいいという論理は、縁やタイミングを重視するという意味で一理あるのですが、タイミングというのは、今この瞬間こそが、そのタイミングなんだと思い込んだ方が、実はセレンディピティな結果に結びつくことが多いような気がしています。もちろんそのように突っ走っていった結果、失敗が起こることも度々あります。それでも、自分なりのセオリーをつくって、成功体験を積み重ねていけば、もうそれは、24時間(寝ている時ですら)自分に入ってくる情報をフルに活かして、無駄にしない状態をつくることもできるはずです。それがセレンディピティな状態の人間になることかもしれないなと、ニヤニヤしています。

カヤックスタイルのひとつでもある、24時間遊び24時間働くっていうのはそういう状態かもしれませんね。