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 教科「情報」の高校での未履修は大学側にはどう受け止められているのでしょう。またなぜ今、高校での「情報」教育が必要とされているのかを考えてみたいと思います。

 東京農工大学総合情報メディアセンター助教授の辰己丈夫氏、早稲田大学メディアネットワークセンター客員講師の前野譲二氏をゲストにお迎えした座談会の最終回です。(編集部)

未履修問題が問う、高校の存在意義

兼宗: 今回の未履修問題は進学校ほど多いという点が特徴的です。学校の立場に立ってみると県立校は、結局私立との競合の中でいわゆる有名大学への合格人数を1人でも出さなくてはいけないという現実的な問題が背景にはありますね。

辰己: ただ、高校の未履修問題は、結局、高校そのものに大きなしっぺ返しを与えるんだということを認識していただく必要があると思います。

 現在のシステムは高校の卒業証明書を大学が信用するというところに根幹があるわけです。でも、未履修問題によって、この点が大きく揺らいでいます。例えば、普通の大学の入試科目に音楽や体育や美術が何で入っていないかというと、高校の卒業証明書が受験生の履修状況を保証しているからです。高校が出してきた卒業証明書が信用できるという前提で、高校が見た基準以外での能力を見直したい場合だけ、それぞれの大学は入学試験を実施しているわけです。

 にもかかわらず、高校側ではその証明書をないがしろにしました。これは高校と大学の間の信頼関係を損なう事態に陥りかねません。ある県の教育委員会では、「数学の中で情報を扱ったから数学の単位で情報は(履修したことにすれば)いいんだ」などと、言い放っています。

兼宗: 素朴な疑問なのですが、履修していないのに履修したことにしている卒業証明書は公文書偽造になるんですよね。

辰己: なるでしょうね。私立学校だったら私文書でしょうけれど。

 いずれにしても、こういう状態がこれからも続くとなると、高校の卒業資格はいらないという大学が出てきてもおかしくないですね。現に、今でも、高卒認定(旧大検)試験をパスすれば、大学への進学は可能です。高校を卒業しなくても、入学試験さえ合格していればいいというような話になって一番困るのは高校のはずです。

 大学の場合、企業からは、卒業させた学生がまったく使い物にならなかったら、お前の大学からはもう就職させないと言われてしまう。だから大学は、実務能力認定機構のような外部評価を頼むなど、卒業生がいかにしっかりしているかをきちんと認定していこうとしているわけです。このように、すでに大学では学生に対する教育が正しく行われていることの保証を求められる時代になっています。

 これと同じことを、高校もやらなくてはならなくなるかもしれないんですね。信頼関係が崩れたとたんに、お互いに余計な負荷を掛けなくてはならなくなってしまうのです。

前野: 第三者評価はおそらくすべての教育機関で必要なのではないでしょうか。小学校、中学校と、教育段階をさかのぼっていくと、もっといろいろな問題が出てくるような気がします。

 例えば、自分自身の経験の中でも、中学校と小学校で同じようなことを繰り返し教わった記憶はありませんか。高校もそれに近いところはあったと思います。そういう前提で、下の教育課程では、「進学後にまた習うから」と省略してしまっているところがあるのではないかと思うんです。

兼宗: それはそうかもしれませんね。

 これまで、学生が高校で情報を学んでいなかったときに、大学では、コンピューター入門やコンピューターリテラシーといった授業をやってきました。高校側では大学でやるんだからという思いもあったかもしれません。

 ただ、少し懸念があるのは、今の議論は、コンピューター入門のような内容がいるかいらないかという話になっています。でも、本来はそうじゃないはずで、全学生が高校までで学んでいるはずの知識を元にして、専門科目の中で発展させる方向に行くべきだと思います。私が教えている一橋大学の経済、商学、社会、法律などでも、情報で学んだ知識は活用できるはずです。

前野: 関連して伺いたいんですけど、この前、ある大学の先生から、情報の入試をやるか、検討しなければいけないので、そのときには相談に乗ってほしいと言われたんです。情報を入試科目にしたら学生の応募数が増えると思われますか。

兼宗: 減るんじゃないですか。今までの他大学の実績を見ると。

辰己: 枠を変えれば増えると思います。

前野: 例えば、数学の代わりだったらどうでしょう。

辰己: それは絶対増えるでしょうね。

前野: 例えば商学部だって、ショッピングサイトをつくってみようとか、ログ分析をしようとか、消費者行動の分析とか、いろいろなところでコンピューターの活用には関わりがあるわけです。情報というのは、商学部系にとっては活用のしがいがある分野なんですよ。

兼宗: 私も、商学部でeコマースプログラミング論などを受け持っています。

前野: そうですか。私自身、商学部出身なので、そういう授業というのをしたい思いも、あるいは学生にそういうことを勉強させたいというのが当然あるんです。そのときに、高校までの教育で、情報を学んでいてくれれば、そうでない学生を鍛えるのに比べて非常に簡単なわけです。

兼宗: だけど、個人的には、入試という過程で、数学を止めることは反対です。私は法律専攻の学生を教えることもありますが、やはり数学が入試科目にあるだけで全然違いますよ。理屈が通じるし。

前野: 私も、数学をやめて情報だけにしたときには、数学の持つ論理的な世界から逃げてきた学生がきてしまうのではないかと思うんですね。

辰己: でも、私は入試で情報はやった方がいいと思いますね。今まで数学だけだったところに情報を選択科目を増やすでしょう。そうするとチャレンジですよね、受験生からすると。「情報」という科目の内容に絶対の自信を持っている受験生しか、まず受験しません。まあ、そのときに、一番、苦労するのは採点をする先生方と問題を作問する先生方なんですけれども。

 それはさておき、早稲田のように私立大学である意味、国の保護のないところではやるべきだと思いますね。例えば早稲田大学法学部では、2次試験なしにセンター試験のスコアだけで入学できるようになったのも画期的だったじゃないですか。

ネットの情報丸写しの問題点

兼宗: 入試の話もさることながら、高校の情報の授業で最低限学んできてほしいことがあります。それは、子供の世界から大人の世界に移るための予備知識です。

 実は娘が小学生だったときに、「お母さん、インターネットで検索して。先生がパソコンで調べてこいと言ったから」と頼んでいるのを見かけました。検索結果をプリントアウトしてノートに貼る、調べ学習の宿題をしていたんですね。これは今でも一般的に行われていると思います。

 一方、大学やそれ以降の一般社会では、他人の書いた文章を自分の文章とすることは問題になります。無断で出版したら著作権違反になりますし、自分のレポートとして提出したら、大学では停学などの処分を受けます。

前野: それは私も思います。ある先生は剽窃を見つけるために、レポートの採点の課程を少し自動化しているほどです。まず、指定した文字数を下回るバイト数のテキストを提出してきたら自動的に切る。所定の文字数を超えているレポートを対象に、文章を細切れにして検索エンジンに投入し、何かが引っ掛かってきたら、検索結果の文章を入手して、一定の条件を満たしていたら報告をするといった具合だそうです。

 実際に、リポートの一部を元にして検索エンジンに投入すると、丸写しに近いことをしていたら、出てくる場合は出てくるんですよね。残念ながら、そういう学生が多いのは事実で、それを本当にやめさせなければいけないと思います。

兼宗: 私の授業では、それを大学1年生の初めのころに徹底させるようにしています。

 ただ、義務教育の中では、先ほどお話ししたとおり、丸写しすることについて何の注意もなく、宿題として出されていたりします。それまで推奨されていたことが、ある日突然やってはいけないことになるわけで、子供にとってはすごい迷惑だと思います。

 本来は、自分の主張を補強するための引用は認められているわけですから、高校までの間に、たとえば著作権と引用のような、子供の世界と大人の世界をつなぐ知識を伝えてもらうことは大切だと感じています。

前野: アメリカでは、まず、1年生のときに、まず最初に文章の書き方という授業が必修になっていて、大学院生中心のティーチングアシスタントとかに文章の書き方を集中的に指導されるんですよ。要するにアカデミックな文章の書き方であるとか、引用の仕方であるとか、参考文献の表記の仕方であるとかを最初に教えられるんですね、手間を掛けて。その部分が日本の大学教育には決定的に欠落していますね。体験する機会を保証することに意味がある

兼宗: 今回の未履修問題にも関連すると思うんですが、職業選択という意味では、「情報」や「コンピューター」という分野は、人材募集が活発なだけあって、自分に適正がないと思いつつ、その業種へ進んでしまう子もいますね。逆に本当は適正があるのに気づく機会がなくほかの分野に進んでしまう子もいます。

 例えば美術や音楽でも、別に絵を描いて生きていこうとか、音楽で生きていこうという人は少ないけれど、学校教育の場でちょっとだけ体験するわけです。未履修によって、情報やコンピュータに関するそういった機会が奪われているという問題はありますよね。別に役に立たなくてもいいんです。高校までは、体験するということが大事なのではないかと思います。

辰己: 自分に素養がないというか、才能がないということを知るいい機会でもあります(笑)。一方で、教育に対して非常に悲観的な見方ですが、教育してもしなくても、天才は出てくるんだという意見もありますね。

兼宗: でもそれは本当に才能がある人であって、私は一般の人たちのことを考えたいと思いますが。

辰己: 私もそう思います。

 これは産業構造の話になりますが、世界中で見て、10人か20人、その分野にプロがいればいい、例えば、ハイテクの最先端の世界の場合は、まさに今の話が真実なんです。世界で10人、20人。10人、20人ということは、年齢的に見れば、同じ年に生まれた人は1人いればいいということですよね。そういうような分野の場合は、教育をしたら伸びるけど、しなかったら伸びないような人はそもそも役に立たない。

 ところが、例えば世界で40万人とか400万人ぐらいいないと成り立たないような産業になると、教育が果たす役割は非常に大きくなります。この2つの点で議論を混乱させている人も結構いるように感じますね。

 現在の情報産業はたぶん世界で数百万人ぐらいが従事しないとまともに成長していかない分野だと思うんです。だったらやっぱり教育の力ってすごく大事なのではないでしょうか。