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 日本の市民ジャーナリズム・サイトが苦戦しているようだが、アメリカでも大きな成功を収めている純粋な市民ジャーナリズム・サイトや市民新聞はまだない。

ジャーナリズムというよりも論説中心

 ますます増える一方のブロガーは個人プレーヤーで、彼らの意見は新聞で言えば「Op-Ed(論説)」の筆者的立場のものが多い。事実を客観的に伝えるという意味では市民ジャーナリズムというよりは市民メディアと呼ぶべきだろう。日本に比べて本名を出してブログを書いているあたり、一人で店を張っている責任感と緊張感が感じられ好感が持てるが、政治的ブロガーには意外と政党とのつながりがあったり政治的立場が偏ったりしている人もいて、その見解が中立かどうかの判断が難しい。また、The Huffington PostやBoing Boingなど有力ブロガーを何人も集めたサイトもあるが、こちらはセレブ・ブロガー・サイトという位置づけ。もちろん役に立つ情報はあるが、やはりジャーナリズムと呼ぶには躊躇がある。

 一方、digg.comなどのソーシャル・ニュースサイトも人気だが、こちらは生の一次情報を上げているものより、それをかみ砕いて説明した二次情報が多い。「もう、○○○については知っていると思うけれど……」と言った書き出しで始まるものがほとんどだ。ニュースが溢れかえる現代社会では、生のニュースより誰かがもうひとつのフィルターをつけてくれる、あるいは誰かがそれを選んでくれるという方法で伝えられるものの方が安心感、信頼感があるのだろうか。その選択眼や解釈自体に人気投票が行われ、ソーシャル・ニュースサイトにお目見えするというしくみだ。

 digg.comのCEOのジェイ・エーデルソンに話を聞いた際、彼はこんなふうに説明していた。
「自分の寄稿が上位に入ると、みんなうっとりするものなんだ。それがこのサイトを動かしている」。
 つまり「見識を争うゲーム」という、結構高度なことが起こっているわけだが、そのゲームの本質は「人気」や「話題性」という指標である。ソーシャル・ニュースサイトだけで世界の動きを推し量ろうとするのは心もとない。

生活に密着したハイパー・ローカルサイトが人気

 あれこれの市民メディアが乱立する中で比較的成功を収めているのは、「ハイパー・ローカルサイト」と呼ばれる市民新聞である。ただのローカルを超えて「ハイバー(超)」とついているのは、州、郡、市のレベルをさらに細分化した「区」「地区(ブロック)」くらいの範囲でコミュニティーがニュースを伝え合うという意味があるからだ。カンザス州東部のlawrence.com、カリフォルニア中部のbakersfield.comなど、これまで聞いたこともないような町のニュースサイトが局部的ににぎわっている。

 日本で言えば渋谷区だけのニュースサイトといった位置づけだろうか。広い国土を持つアメリカなのに、仕事もプライベートも含めたいていの人々の生活は実にハイパー・ローカルな範囲で終始しているのがキーになっている。中学生が学校のニュースを寄せてみたり、父兄会が連絡簿として利用したり、地元の映画館が広告を載せたりするのが役に立つ。通勤のために人々が毎日何時間も移動する日本では、なかなか成立しないタイプのサイトかもしれない。

 先だっては、同じくローカル・ニュースサイトbackfence.com(これは全米数カ所で運営されている)の私の地元パロアルト版に、同市の警官が「ご近所の盗難事件」について報告をしてくれたのがありがたかった。「○○通りで2件の盗難が発生。犯人は午前11時ごろ、家人の留守を狙って鍵のかかっていない窓から侵入し……」と詳しく伝えてくれる。これがごく近所だったこともあって、こうしたサイトに、そしてそこに寄稿する警官のコミュニケーション能力に感心した。

シリコンバレーらしいベンチャーキャピタルの動き

 シリコンバレーに限って言えば、この分野で起こっている面白い動向はテクノロジー専門のブロガーにベンチャーキャピタルが資金を出すという現象である。いずれニュースサイトに拡大するつもりなのか、あるいはどこかに統合・買収されるべく資産価値を高めているのか、まだその行く手は不明。かつて地元ジャーナリストだった何人かがすでにそうした資金を得ているようである。

 ところで、市民ジャーナリズム・サイトも含め、コミュニティーが自分たちで作り上げていくこうしたサイトがどう運営されるべきなのかは非常に興味深い。これについては、次回のコラムで。