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 前回までは、高校での情報教育と未履修問題を扱いました。今回からは、大学での情報教育の例として、一橋大学での私の授業を紹介したいと思います。

 一橋大学は東京都下の国立市にあります。大学内には緑が多く、快適なキャンパスです。市民の憩いの場にもなっていて、たまに写生に来た子供たちが私の研究室の下を通りすぎて行きます。

一橋大学のキャンパスの様子

子供たちも訪れる緑の多い快適な環境です

 一橋大学は社会科学系の大学で、現在は商学部、経済学部、法学部、社会学部という4学部があります。入学した学生は、学部によらない共通科目と、学部ごとの授業を通して自分の専門を学んでいくことになります。

大学生に必要なコンピューターの基礎知識

 2006年度は高校で情報を学んだ学生が入学してくる最初の年になりましたが、大学の側では「高校の情報の授業にどこまで期待してよいか」「浪人生は情報の授業を受けていないが同じように扱って大丈夫か」などの、数々の疑問を抱えることになりました。これは「2006年問題」などと呼ばれています。

 一橋大学では、それまで「情報リテラシー」という授業で基本的な使い方を教えていましたが、2006年度からはコンピューターを触ったことがない学生向けの授業はなくなりました。現在は、大学1、2年生を主な対象とする共通科目として、複数の教員が「情報基礎」「計算機概論」などの授業を開講しています。それぞれの授業は講義要綱(シラバス)が公開されていますので、学生たちは好きな内容の授業を選んで受講することができます。

 私は新入生が最初に学ぶ情報基礎の授業では、「コンピューターの基本的な操作を使って応用的な内容を教える」ことにしました。コンピューターの操作自体は高校までと変りませんが、大学ではそれを使って表現する内容が異なってくるからです。

 特に2006年度は情報を学んだ学生とそうでない学生が入り混じることが予想されるため、「コンピューターに慣れていない学生には授業の中で操作になじんでもらい、慣れている学生には大学で学んでいくための基礎力をつけてもらう」ことは重要です。実際、4月の最初の授業でアンケートをしたところ、やはり高校で情報を学んだ学生を含めて、「大学で勉強を進めるために必要な知識を基礎から学びたい」という希望が多いことがわかりました。

 大学の半期の講義では、90分間の授業を約15回行います。私の授業では、毎回の授業を「授業ごとのトピック」と「繰り返して身に付ける内容」に分けて進めました。

倫理とマナーは繰り返しで身に付ける

 まず、毎時間繰り返して行う練習をご紹介したいと思います。それは情報倫理と電子メールです。

 情報倫理については、主にコンピューターを使っていく上での社会的なリスクを扱います。この授業では、毎回の最後に5分間程度を使い、ウイルス、ねずみ講、著作権違反などを扱った短いストーリー仕立てのビデオを見てもらい、それに対する自分の考えを数行でまとめてメールで提出してもらいました。使った教材は情報倫理デジタルビデオ小品集2です。

 倫理には必ずしも唯一の正解はありませんが、そのことについての正しい情報を知ること、自分なりの考えを持つこと、違った考え方もあることを知ることは大切です。

 例えば、音楽CDの複製についての問題であれば、「自分の好きなアーチストの曲を友人にも聴かせたい」と思うことは自然なことですが、「よい曲を提供してくれたアーチストのためにお礼をしたい」と思うことも自然なことです。「曲を広める」ことと「対価を払う」ということ、そして立場を置き換えて自分の著作物が利用される場合を考えてみることで、自分なりの考えを深めていくことはよい経験になります。

 この毎回の課題は、電子メールで提出してもらいます。本当は授業用のWebページから提出してもらうこともできるのですが、わざわざメールにしていることは理由があります。

 最近は、大学に入学する学生のほぼ全員が携帯電話を持っており、メールも日常的に使っています。しかし、その相手は主に友人や家族であり、それ以外の人とメールをやり取りする経験はほとんどないようです。当然本人は「自分はメールを使える」と考えているのですが、実際には大学や社会に出てから困ることになります。

 4月の最初の授業で課題をメールで提出してもらうと、半数近くの学生は、次のようなメールを作成します。

  • 名乗らない
  • 挨拶がない
  • 適切に改行されていない

 まさに「3ない」メールです。携帯電話では、電話帳に登録された相手から届いたメールには、画面にメールアドレスの代わりに差出人の氏名が表示されるのが普通です。そこで、本文には特に自分の名前や学籍番号を書く習慣がないようです。また、よく知っている相手に送るので、いちいち挨拶を書く習慣もありません。

 しかし、大学に入ってからは、先生への連絡や就職活動などできちんとしたメールを書く機会が増えますので、この時期に一般的な常識を身につけておくことはとても重要になります。

 一度、身に付いた習慣はなかなか変わりません。そのため、毎回の授業で課題提出のメールをもらい、そのたびに「どこの誰かは存じませんが、レポートを受け取りました。」という返事を出すようにしています。また、毎回返事を出すことで、「先生が読んでくれている」という意識が芽生え、自然と挨拶などを書くようになってきます。

毎回のトピック

 毎回のトピックは、大学でコンピューターを使って勉強を進めるために必要な知識として、次のことを扱うことにしました。

(1)大学生活でのコンピューター活用

 授業やレポートなど、どのような場面で使っていけばよいか。大学でコンピューターを使える場所はどこか、どんなソフトウェアを使えるか。自宅や下宿でコンピューターを買うときは、ネットワークを含めてどのように選べばよいか、などを説明します。新入生にとって、意外とこのような知識は手に入りにくいもののようです。

(2)学習用資料の入手

 大学では、指定された教科書だけでなく、書籍や論文、雑誌記事などを使って、学習や研究を進めていくことになります。一般の書店では専門資料を入手するのが難しいため、必要になる資料の種類を説明した後、「書店に行って買う」「オンラインで買う」「図書館で借りる」「オンラインで読む」などの入手方法を説明し、実習します。

(3)大学での文書作成

 レポートを書くために必要な、文章の基本的な論理構成を学びます。タイトル、作成者からはじまり、本文を論理的に書いていくことは、レポートをはじめ、発表、卒業論文など、すべての基礎になります。

 また、作成する文書には、必ず他の文献からの引用を含めてもらうようにしています。前回の対談でも触れましたが、他人の文章の一部を自分の文章としてレポートなどに使用すると、著作権違反になるだけでなく、大学ではカンニングの扱いとして停学などの処分を受けることがあります。一方、勉強や研究では書籍などの文献を適切に参照しながら進める必要がありますので、「文献を適切に引用する」ことの練習はとても大切なのです。

(4)プレゼンテーション

 わかりやすく話を伝えるための、ストーリーの展開方法を学びます。表紙、目次、導入、本論、結論といった構成に沿って、自分でテーマを決めてスライドを作ります。描いたイラストや撮影した写真を使うことで、マルチメディアの表現にも慣れていきます。

(5)データ処理の基礎

 社会科学系の研究では、社会調査結果の集計や経済統計の分析などが必要になります。実際にはデータに応じて専用の統計ソフトウェアなどを活用することも必要になりますが、この授業では表計算ソフトを使って基礎的な処理を学びます。

(6)文書の論理構造

 HTMLを使ってWebページ(いわゆるホームページ)を作成します。「ここは章のタイトルなのでh1タグで囲む」「ここは本文なので段落をpタグで囲む」などと意識して書いていくことにより、文章の論理構造を明確に意識することができます。作ったWebページは学生同士で相互評価を行います。他人の作品を評価したりコメントをもらうことで、わかりやすさとデザインについても学びます。

 大学1年生を対象にした情報基礎教育では、コンピューターの使い方を教えるだけでないという点は意識しておきたいところです。必要に応じて「高校までの子供の世界から、大学以降の大人の世界への橋渡し」をする役割も重要と言えそうです。

次回に続く)