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市民ジャーナリズム・サイトや市民メディアは、別名「オープンソース・ジャーナリズム」とも呼ばれている。リナックスなどオープンソース型ソフト開発と同じように、参加者が自分たちでコンテンツを作り、そのサイトを運営する。中心になるリーダーや管理者のような立場の人間は存在するが、あくまでも人々が気持ちよく参加できるようサポートするのが役割で前面に出てくることはない。

とは言え、きれいごとばかりで市民メディア運営ができるわけではない。得体の知れないインターネット・ユーザーを相手にすれば、予期せぬ争い、意見の食い違いも出てくる。そもそも市民メディアを立ち上げたからと言って、理想的な参加者がいきなり集まるとは限らない。

「サイト立ち上げとはこうやるのか」と感心したのは、「ブログハー」という女性ブロガーのアグリゲート・サイトを始めようとしていたリサ・ストーン(3人の共同創設者のひとり)をあるパーティーで見かけた時だ。ストーンは、ウェブサイトのマーケティングの専門家。会場では、積極的に女性の参加者に語りかけ、近々開かれる「第1回ブログハー会議へぜひ参加して」と、それはそれは熱心に説得して回る。この会議には私も出たが、この2005年当時、ブロガーと言えば男性優勢だったこともあり、鬱憤を晴らしにきた女性ブロガーが何100人も集まって、すごい熱気だった。

会議では政治、経済、教育などの真面目な話題から、「ブロガーとしてどうやって目立つか」「金を稼ぐにはどうするか」といった「正直な」手ほどきもある。参加費は安く、会議が開催されているホテルもそれほど高価でないこともあり、全米から参加者がやってきた。何よりも、この会議がブログハーというサイトの性格を決める決定的な役割を果たした。女性ブロガーとして互いをもり立てていこうという、生の一体感がそこに生まれていた。その後も同サイトはなかなかににぎわっていて、会議は毎年開催され、オンラインだけでなくオフラインでコミュニティーの共通意識確立を図っている。

とんでもない参加者やサイト荒らしをどう管理するのかは、頭の痛い問題だ。市民ジャーナリストならば、意図的でないにしても誤りのあるニュースを寄稿してしまう場合もあるだろう。テクノロジーサイトとして知られるスラッシュドットの創設者はこう語っている。

「参加のためのバーを低くした分、個々の間違いは必然的に出てくる。けれどもサイト全体としてみると、コミュニティーは正しくふるまうものなんだ」

間違いがあれば他の参加者が指摘する。ブロガーがこうした力を発揮するのは、もう証明済み。「迷惑なふるまいをすれば、他の参加者の冷たい視線を受けて居づらくなる」。リナックスを始めたライナス・トーヴァルスはそう言っていたが、そのメカニズムは健康な市民メディア・サイトでも同様に働く。問題は、そういうチェックとバランス機構が起動しないケースだろう。

ユーザーが作り続ける百科事典ウィキペディアを創設したジミー・ウェールズにこの質問を投げかけた際の彼の返事はこうだった。

「こと細やかなメンテナンスを行うことなく、コミュニティーサイトを運営していくのは不可能だよ」

ウィキペディアはすでに160万(英語版)もの記事が掲載されている巨大なコミュニティーになっているが、「まったく未知のユーザー同士が対峙するようになった」(ウェールズ)のはごく最近のことなのだそうだ。それまでウィキペディアの神髄を知る人々が暗黙のうちに理解し合える場所だったのが、最近はそこに頼れなくなったということである。だからコミュニティーの質を保つために、刻々とメンテナンスが必要になる。

それでもウィキペディアには、「ここは国連か」と見まがうような、争いを調停するプロセスが以前から用意されている。意見が対立すれば、まずは「控え室」のようなところに場所を変えて議論してもらう。それでもダメなら、第三者の調停役が介入し、さらに広く参加者による投票を行い、これでもまだ争いが収まらないようならば、調停委員会が乗り出して議論が行われる。ちなみにこの調停委員会の議論は参加者全員にオンライン上でオープンに進行する。最近のウェールズの時間のほとんどは、このレベルでの仕事に費やされているのだという。

大げさな話になるが、私がもうひとつ感心するのは、「デモクラシー(民主主義)」という概念や手続きがこうしたインターネット上の市民メディアにも浸透していることである。第一に、市民メディアは誰でもオープンに参加できるもので、対立する意見にも開かれた場でなければならない。

第二に、参加者ひとりひとりが、責任あるデモクラシーの担い手としての行動を期待されているということ。ことにこの第二のポイントは、日本で想像する以上に強固で頑固なデモクラシーの要素だ。市民メディアで言えば、そこに与えられた目的のために個々人が建設的に寄与することを求められる。このデモクラシーの掟を「これが見えぬか!」とかざすだけで、軌道を外れたサイト荒らしは退治されてしまうこともままあるのだ。