PR

 このPCオンラインを作っている「日経パソコン」では、自治体の情報化を評価する「e都市ランキング」という調査を毎年実施している。僕自身はこの調査の初めの頃に少し意見を言わせてもらっただけで、それ以降は別段かかわっていないのだけれど、「どうしたら上位にランキングされるようになれますか?」とか、「ランキングがだいぶ落ちてしまったのだけれど、どうしたらよいのでしょうか?」などと、情報化を担当されている職員はもちろん、首長さんや議員さん、市民や情報関連企業のみなさんなど、いろいろな方々からご質問をいただく。

 ああ、それは、こうすれば1番になれますよ! なんていうHow toがあるなら、なんにも苦労はしない。けれども、一つ言えることは、e都市ランキングの上位にいつも顔を出す常連さんの自治体には、地域のために熱く働いて、輝きを放つキーパーソンが必ずいるということだ。そんな人々の姿に、このコラムでも、時折、触れてみたい。きっと地域情報化にとって、とても大切なものが見えてくるはずだ。

 2005年と2006年のランキングでトップだった兵庫県西宮市には、電子自治体推進担当理事の吉田 稔(よしだ みのる)さんがいる。僕がこの方に初めてお会いしたのは、もう10年近くも前になる。講演会などでご一緒すると、ネクタイに阪神タイガースのタイピンが輝いている。甲子園球場とともに暮らす、根っからの西宮っ子だ。

 吉田さんは講演で、役所の中で情報化に対する理解がなかなか得られずにとても苦労されたことをよくお話になる。全国の情報化の担当職員が「うちの役所はなかなか情報化への理解が得られなくて…」なんて愚痴をもらすことがよくあるけれど、そういう状況は、No.1の自治体とて同じことだ。

 役所の中で新しい仕事をはじめることは、とても難しい。行政がやるべきことは、原則として、首長か、あるいは議会の議決によって決定される。自治体職員には、自分で考えて、自分で何か新しいことをはじめるなんていうことは予定されていない。職員は上からの命令に忠実に従うことが求められている。地方公務員法にもそう書かれている。だから、職員の評価の基本は減点主義になる。役所で早く出世する人の多くは、ミスをしない人である。だから、役所は管理型の人間ばかりになってしまう。新しさや面白さが失われてしまうのはそのためだ。

 けれども、情報化の仕事は、その歴史が新しいから、いつも新しい技術を追い続けなければならない。吉田さんは、日本の自治体情報化の生き字引だ。吉田さんは、1971年に西宮市役所に入庁した。そして、大型電子計算機が導入されたころに電子計算課で活躍され、大型電子計算機のプログラムを自分で開発する力を身につけた。

 その後は、ゴミ収集や税金の滞納整理など、現場の仕事を続けることになる。僕の想像だけれど、吉田さんの大活躍の原動力は、この現場での仕事にあるのではないかと思う。現場の仕事は、市民とのコミュニケーションが基本だ。首長や議会の決定は、大雑把な話は決まるのだけれど、それを現場に持って行くと、トラブルは山のように起こる。そして、限られた人、モノ、カネの中で、小さな工夫を積み重ねて、それらの問題を解決し、その大雑把な話を実行しなければならない。

 吉田さんはアイデアの人である。問題を見つけては、それを限られた資源の中で解決することに情熱を燃やす。お金も、モノも、人もないのが当たり前と笑いつつ、自前主義を主張する。できない理由をお金がないとか、人がいないなんてフツーの職員のように嘆いたりしない。

 そんな吉田さんが、グッと注目を浴びることになったのが、阪神淡路大震災のときである。震災で次から次へと起こり続ける問題に、いつものとおり、一つずつ、一つずつ答えを出して、被災者支援を中核とする震災業務支援システムを自前で開発したのだ。このとき開発に携わることができたスタッフは、吉田さんを含めてわずか2名だけだった。

 僕が吉田さんにお会いしたのはこの頃だ。このシステムの説明を受けたとき、僕は驚きを隠すことができなかった。吉田さんが開発した震災業務支援システムは、住民情報、地図情報、被災情報などを、実際の現場で起こった問題を踏まえて開発されていた。それは、制度ありきでシステムを考えがちな役所の情報システムとは、とても思えなかったのだ。しかも、当時としては最新のGIS(地理情報システム) 技術が取り入れられているうえに、簡単なようで難しい大型電子計算機のデータと、パソコンのデータとの連携も実現していた。さらに、問題解決に携わる部署が情報共有できるように、ネットワークも上手に利用しているのだった。

 そんなシステムは、当時、ネットワーク利用が進んだアメリカでも見ることはできなかった。吉田さんは、1980年代の後半から、地域情報化の代名詞ともいえるパソコン通信を手がけていて、インターネット以前からネットワークの重要性に気づいていた。そして当時、日本では最大の会員数を誇った公共パソコン通信「情報倉庫にしのみや」や、おそらく市民とのコミュニケーションからうまれてきたのだと思うけれど、「酒データベース」なんていう、今でも面白そうなシステムを1989年から運営していた。地図情報を利用した施設案内システム「道知る兵衛」を稼動させたのは、なんと1991年なのだ。道知る兵衛は、その後も発展し続けて、今ではケータイでも利用できる多目的GISとして機能している。

 市民といっしょに呼吸をしながら、地域の問題を解決するために、情報システムを一つずつ自前で開発してきた。そんな吉田さんからメールが届く。「こんどのフェアでは、参加大手ITベンダーに負けない『災害時の危機管理に真に役立つ被災者支援システム』を実演します。時間が許せば、是非ご来場下さい。」

 吉田さんは、真に役立つ情報システムづくりのために、自前主義を受け継ぎ、それを貫くスタッフの育成にも余念がない。西宮市は、これからも電子自治体の横綱であり続けるだろう。