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 最近、エンデの「モモ」を読み直して、以前とはまた違った感銘を受けることになりました。なぜなら、その素朴で魅力的な筆致とは裏腹に、そこに僕自身が「悪者」として描かれていたからです。

サブタイトルは「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」。できれば文庫版ではなく単行本でゆっくり読みたい

 「モモ」のなかで、悪者は時間貯蓄銀行の社員として登場します。時間を節約すればするほどすばらしい人生が約束される、と言葉巧みに勧誘し、人々に時間の貯蓄を勧める。しかし、時間の節約は人々の生活を余計にあわただしくし、仕事そのものにあったはずの楽しさや充実感を奪っていく。散髪屋は、1時間半かかっていた散髪を30分で終わらせるようになり、それまでの丁寧で暖かみのあった仕事のやり方を忘れていきます。「1時間半の仕事を30分で終わらせれば1時間の貯金ができるのです」と時間貯蓄銀行の社員はささやくのですが、しかし肝心の貯蓄した時間は、ついに人々のところへ戻ることなく氷漬けされてしまう。主人公モモは、その盗まれた時間を取り返そうとする、という物語です。

 ライフハックを勧める人たちというのは、一歩間違えるとこの時間貯蓄銀行の手先となってしまうことになります。時間を節約しようとすることで、仕事そのものの楽しさが半減し、しかも効率的に働けば働くほど利益があがってうれしいのは、実は会社だけなのかもしれないのです。

 音楽雑誌「Rockin' On」を創刊し、双方向メディアに長くかかわっている橘川幸夫さんに、以前ライフハックのムックへのインタビューを依頼したことがありました。そのときに言われたのが、「で、仕事術で効率よく社員が働いて喜ぶのは会社だろ」ということ。はっとしました。そしてその後、橘川さんから、一日の大半を瞑想して過ごす人の話を伺いました。その瞑想は一体効率的なのか非効率的なのか。効率を問うことそのものがナンセンスということが、世の中にはあるはずなのです。

 子供たちが熱中するように仕事をしていれば、それが幸せなんです。そこでは時間の効率なんかどうでもよくて、仕事そのものが楽しい。であれば、それを早く終わらせてしまおうなんて思わないはずなのです。早く終わらせたい仕事しかしていないことがとても寂しいことなんです。現代では、そういう充実した、時間をじっくりかけて楽しむような仕事を許さない状況にある。エンデの「モモ」はそういう状況に疑問を投げかけます。

 そこで考えたのが、ライフハックというのは仕事の効率アップのためのものではなく、実は仕事にあったはずの「熱中」という要素を取り戻すための方法論ではないかということ。ライフハッカーをせかせか働く人たちと捉えるのではなく、仕事に自分の美意識をもって取り組む職人たちと考えるべきなのではないか、と思うのです。

 ライフハックというのは、だから、仕事に失われた美意識を取り戻す運動という風に考えたい。その美意識に基づいて無駄を省いたり、シンプルに仕事をこなしたりするかもしれないけれど、それはスピードを求めたり、効率を求めたりするためではなく、仕事そのものに熱中し、仕事をより洗練したものにしていくための、絶え間ない改善の意識なのです。

 こうした美意識を取り戻すと、実は思わぬ効能があります。それは、年をとることが楽しみになるということ。もしスピードだけを問題にするのであれば、おそらく30代を頂点として、僕たちの仕事のスピードは肉体的な衰えとともに下がっていく。30代以降は年をとることが苦痛で仕方なくなります。しかし、職人の世界はそうではありません。伝統工芸では30代なんてまだ下っ端という世界。洗練に洗練を重ねて技を磨いていくことで、老境に差し掛かったころようやく充実した仕事をすることができる。言い換えると、年をとることが楽しみになる。どんな年齢になっても、もっと成熟できる未来が燦然(さんぜん)と輝いているのです。こういう人はいつまでたっても青春を失いません。

 しかし現実の世界では、たとえば転職市場ひとつとっても、「30代が転職のラストチャンス」などと言われることがあります。そんなはずはないのです。それは、仕事を早くこなすことだけを優先した、貧相な思考の結果です。僕たちは、そうしたくだらない効率主義に囚われることなく、しっかりとした美意識をもって働くべきなのです。

 実は僕は、先週末から休暇をとって、平成中村座の歌舞伎公演を見るためにニューヨークに来ています。

「平成中村座」のポスターがニューヨークの街角に大きく飾られています

 舞台に立ってニューヨーカーから熱狂的な拍手をもらっているのは、なんともやんちゃな50代の歌舞伎俳優・中村勘三郎。こうしたすばらしい「仕事」を支えているのは、当たり前ですが、効率主義では決してありません。充実した仕事をしようと思うのなら、効率よく仕事している場合ではない。ライフハッカーはモモのように、盗まれてしまった本当の「仕事」を取り戻す役割を担っているのです。