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 新聞やニュース番組を眺めていると、日々凄惨な事件が報道されていて気が滅入る。もうニュースなんて一切見ないことにしようかとも思うが、さすがにそうもいかない。

 猟奇的な事件が起きると、つい「世の中だんだん悪くなっている。人心がすさんでいる」と思いがちになるが、過去に遡っても平和な時代など見当たらない。美しい芸術作品を生み出す音楽界においてすら、血生臭い事件は絶えない。

 「殺人作曲家」として知られているのが、ナポリ近郊のヴェノーサ公爵の家に生まれた貴族にして作曲家のカルロ・ジェズアルド(1561頃~1613)だ。大胆に半音階と不協和音を使用した時代を超越した作風により、マドリガーレをはじめとする多くの作品を残した。

 ジェズアルドは職業作曲家ではない。ナポリ近郊のヴェノーサ公爵の家に生まれ、次男ながらも兄の死によって家督を継いだ。1586年にペスカラ侯の娘で、いとこに当たるマリア・ダヴァロスと結婚。マリアは類まれな美貌の持ち主だったと伝えられる。マリアは結婚後、アンドリア公ファブリツィオ・カラーファとひそかに情事を重ねる。

 妻の不貞を知ったジェズアルドは、カラーファ公との不倫現場に従者とともに乗り込み、二人を殺害する。さらに生後数ヵ月であった赤ん坊が情夫との子ではないかと疑い、子供まで殺してしまう。極悪非道である。ナポリにおけるジェズアルド一族の地位は高く、スキャンダルにはなりこそすれ、ジェズアルドの罪が裁かれることはなかった。以後、彼は復讐を恐れてか自らの領地に引きこもる。

 この事件がきっかけで、それまでなかば秘密のうちに専念していた作曲活動が公に知られることになった。以後再婚し(というのもスゴい話である。相手は命がけだ)、幾多の作品を書き残すが、後年は鬱病に苦しむことになる。ジェズアルドの宗教マドリガルの一節にはこんな歌詞がある。

 主よ、どうか慈悲を/わたしは罪深い者である/わたしの喜びにわたしは苦しむ……。

 殺人作曲家はジェズアルドだけではない。15世紀末からマントヴァでゴンザーガ家の宮廷に仕えたバルトロメオ・トロンボンチーノ(1470頃~1535以降)も、やはり妻を殺害している。1499年、妻アントニアが愛人と一緒にいるところを発見し、凶行に及ぶ。ジェズアルドの事件と違い、愛人のほうは無事だったようであるが。

 作曲家のなかには殺人の被害者もいる。フランス・ヴァイオリン楽派の祖、ジャン=マリー・ルクレール(1697~1764)がそうだ。最初の妻に先立たれた後、1730年に彫版師ルイーズ・ルーセルと再婚。ルイーズ夫人は以後ルクレールの楽曲を製版した。結婚後30年近くを経た1758年頃になって、二人は破局を迎える。今風に言えば熟年離婚といったところか。

 ルクレールは人目につかないパリの貧民街に小さな家を購入し、独居する。そして、1764年のある日、夕方遅くに帰宅した際に惨殺された。パリ警察は事件を徹底的に捜査、3人の容疑者が浮上する。死体の第一発見者である庭師、以前より関係が悪化していた甥のギヨーム=フランソワ・ヴィアル、そして別れた妻。

 で、犯人は誰だったのか?

 分からない。事件は迷宮入りし、解決には至っていない。甥に明らかに不利な証拠が残されていると言うが、経済的理由を動機として妻を疑う声もある。求む、200年以上前の事件を解決してくれる名探偵。