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 先月、当欄で北京五輪開会式にも出演した中国出身の若いピアニスト、ラン・ラン(郎朗)を話題に取り上げた。まだ26歳の若者でありながら、自伝を著している。

 しかし、若くして世界的な名声を獲得したピアニストの自伝など、果たしておもしろいものであろうか。天賦の才に恵まれ、成功に次ぐ成功を収め、ウィーン・フィルやベルリン・フィルとも共演し、ドイツ・グラモフォンとも契約を結び、オリンピックには出るわ、ユニセフ親善大使を務めるわ、そんな順風満帆の人生になど関心が持てるものか、そもそもまだ20代、本当の人生の味わい深さはまだまだこれからだ、自伝は30年後に書いてくれ……。

 などと、思ったらこれが大間違いであった。この自伝は抜群におもしろい!

 『奇跡のピアニスト 郎朗(ラン・ラン)自伝』(ラン・ラン+デイヴィッド・リッツ著/野澤敦子訳/WAVE出版)は、ラン・ランの幼年時代から国際的なキャリアを開始するまでを描いている。その少年時代に父親から課せられた練習の厳しさ、成功へのプレッシャーはただごとではない。父の口癖は「ナンバーワンになれ」。文化大革命の終焉を背景に、息子の音楽的才能に気づいた両親は、ただひたすらにその才能の開花を信じ、あらゆる犠牲を厭わずラン・ランに音楽教育を受けさせる。生まれ故郷の瀋陽にいては夢はかなわないと、父は8歳の息子のために警察官の仕事を辞め、父子で北京へと赴く。母親は瀋陽に残って仕事をし、家族全員の生活費を稼ぐ。父はスラム同然の住居で赤貧の暮らしに身を落としながら、ラン・ランを鍛え、エリートの集まる北京中央音楽学院を受験させる。3000人の受験者の内、合格者はたった12名。しかも資力のないラン・ラン親子にとっては、奨学金を受けられる7位以内に入らなければ、北京に残れないという狭き門である。

『奇跡のピアニスト 郎朗(ラン・ラン)自伝』(ラン・ラン+デイヴィッド・リッツ著/野澤敦子訳/WAVE出版)
『奇跡のピアニスト 郎朗(ラン・ラン)自伝』(ラン・ラン+デイヴィッド・リッツ著/野澤敦子訳/WAVE出版)

 少年時代のラン・ランの描写はたいへん興味深い。「トランスフォーマー」のおもちゃや「ドラゴンボールZ」のコミックを好む普通の少年の感性を持ちつつも、ピアノの練習のために平凡な少年時代を奪われ、しかも母親と引き離されて暮らすことまで強いられる。