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 かつてニーチェはこう書いた。

「『トリスタンとイゾルデ』の第3幕を、言葉や比喩の助けをいっさい借りないで、純粋に巨大な交響楽の楽章として感受できるような人で、あらゆる魂の翼をけいれん的に張りひろげたあげく絶息しないような人間を想像できるかどうか」(『悲劇の誕生』~21「ワーグナーの楽劇」 ニーチェ著/秋山英夫訳/岩波文庫)

 はたして魂の翼をけいれん的に張りひろげられるかどうかはまるで自信がないが、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を巨大な交響楽のように感受するというのは、比較的なじみ深い接し方だろう。「トリスタンとイゾルデ」は伝統的なオペラとちがって、舞台上の登場人物が事件や騒動を起こしながら起承転結に沿って物語を進めてくれたりはしない。休憩を入れれば5時間以上も費やさなければ鑑賞できない長大なオペラ(ワーグナーは「楽劇」と称した)にもかかわらず、舞台上で起きる出来事というのはきわめて少ない。重大な事件は幕が開ける前に済まされていたり、登場人物のセリフのなかで示唆されることが多いのだ。

 騎士トリスタンはマルケ王の花嫁としてイゾルデを迎える。しかし二人は禁断の媚薬を飲み、愛し合う。マルケ王とイゾルデの結婚後、不貞が発覚し、トリスタンは死ぬ。表面上の出来事はそれくらいのものだ。演出に大きくよるが、舞台美術は抽象化されたものが多く、内面的にはともかく、視覚的にはこれといった劇的な物語進行を期待するようなものではない。しかし、音楽はとてつもなく雄弁で、麻薬のように聴き手を虜にする。だから視覚なし、CDだけでも十分堪能できる。言葉がわからないおかげもあるが、第3幕どころか全曲を「巨大な交響楽」のようにして楽しむ人は少なくないはずだ。

 オペラ食わず嫌いの知人がいる。せっかく「トリスタンとイゾルデ」のDVDを見せたのに、ひどく落胆されてしまった。ワーグナーの音楽はすばらしいが、歌手のビジュアル面に納得が行かないという。その美貌が国外にまで評判になる若く可憐な娘が、あのような巨体をゆする中年女性で良いのか、と。トリスタンもあんなに太っていて騎士が務まるものか、と。すまない、そこは容赦していただきたいところである。オペラ界では歌手の容姿や年齢と役柄の一致よりも、はるかに歌唱力が優先されるのだ。ましてトリスタンとイゾルデのような、並外れたスタミナや声量が要求される役柄では、歌える歌手の数そのものが少ない。お願いだから、激しく抱擁するトリスタンとイゾルデの姿を見て、「力士のぶつかり稽古」だなんて言わないで欲しい……。