PR

 前回、警察は社会統治のための暴力代行組織であること、そして私達が警察に寄せている信頼感に法的な裏付けが存在しないことを指摘した。それは、法治国家にとって、実はかなり間の悪い状況である。

 そこで設問だ。「リアルタイムで更新されるGoogleストリートビューのような状況が当たり前になったならば、一体社会統治はどう変化するだろうか」。

 まず考えるのは「プライバシーはどうなっちゃうんだろう」ということだろう。が、ここでは取りあえずデメリットに目をつぶって、何かいいことはないかと考えてもらいたい。
 いつでもどこでも監視カメラで何が起きているか記録されるようになり、それを誰でも閲覧できるようになると何が起きるのか――「誰もが不特定多数の誰かに監視されている……かもしれない」という状況になる。
 こうなると、少なくともカメラの監視範囲内では、犯罪的行為に対する心理的ブレーキが強烈にかかることになる。いつ、誰が見ているか分かったものではない状況では、理性的に考えれば犯罪はまったく割に合わないものになる。起きる犯罪は衝動的なものか、ないしは見られることを前提とした計画的なものになるだろう。
 各監視カメラの取得データを、一定時間保存しておいていつでも巻き戻し可能にしておけば、すでに起きてしまった犯罪についても監視カメラ映像で情報を得ることが可能になる。

 実は、これはかつて村社会に存在した(そして今も存在し続ける)「他人の目」の現代的再現に他ならない。お互いが顔見知りの狭い村落では、「誰が何をしたか」が隣人に筒抜けだった。その息苦しさは相当なもので、明治以降そこからの脱出が、若者が都市を目指す一つの動機にもなった。

 ただし監視カメラと村社会の「他人の目」とは一つ大きな違いがある。見ているのが「見知らぬどこかの誰か」か「隣に住む知り合いか」ということである。
 「見知らぬどこかの誰か」が、一般人のあなたのプライバシーに興味を持つことはまずない(たまにはいる。過度の興味を抱いてしまった者はストーカーと呼ばれる)。しかし、そこに犯罪行為が写っていたならば、たちまちにして見知らぬ「誰か」はネットの匿名掲示板やSNSなどを通じて団結し、犯人をあぶりだしてしまう。

 ここで重要なのは、監視カメラが監視するのは、一般人だけではなく「権力をも監視する」ということだ。警察が前回触れた「転び公務執行妨害」を仕掛けたとしても、その状況が監視カメラに写っていれば、あっという間にネットで検証されて公知の事実となる。

 つまり、監視カメラは、同時に警察のような暴力代行組織の暴走を防ぐ装置ともなりうるのだ。「法治の影に隠れた人治」から「市民から権力に至るまで、全ての社会参加者の相互監視による法治」というわけだ。監視カメラ社会には「権力による暴力の濫用を防ぐ仕組み」がその根源に実装されているといっていいだろう。