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 放送法の改正手続きの間にYouTubeが驚異的なアクセス数を誇るようになってしまったため、今となっては気の抜けたサイダーみたいになってしまった感はあるものの、NHKオンデマンドの動画配信サービスが2008年12月からようやくスタートした。

 NHKは様々な制約からその放送資源をインターネットでは利用できないと言い続けてきたが、放送法の改正で不可能は可能となった。法という秩序は制約ではなく自由のためにある。やればできるのだ。でも欲張りな僕としては、どうせなら放送法に著作権や肖像権の特例を設けて、国民の血税で製作され、眠れる森に埋もれている大量のNHKアーカイブスをオンデマンドでもっと広く自由に活用できるようにしてほしい※1

 国民の気づきを増やし、創造力を高めるために映像資源をもっと活用することだ。多様な書籍を文化資源とし、図書館において無償で貸し出したり、閲覧させたりするのと同じように映像資源を扱うことが必要だ。著作権者の保護も必要ないとは言わないけれど、一年で総額6350億円もの受信料を負担してNHKを支えている国民の利益を最優先に考えたい※2。民放ならいざしらずNHKの番組について一部の人々が著作権や肖像権を強く主張するなら、国民は視聴権を主張すべきだろう。

 NHKなんかつまらないという方もいると思う。確かにシリアスな番組は、快楽ではなく時には見る者に苦痛を与える。でも、芸能人のお笑い番組や、首相の読み間違いを笑い政治家のスキャンダルを追うワイドショーでは、貴重な時間が消費されるばかりである。シリアスな問題の解決に役立つ映像コンテンツを育てることも必要だ。

 その編集にいろいろと意見のある人もいると思うが、例えばNHKの「映像の世紀」は、本当は個人的なコレクションとしてDVDで全部そろえておきたいくらいに優れた史料だと思う。けれどもDVD12枚をセットで買うとなんと8万1900円もするから個人で買うのは現実的ではない※3。予算の苦しい図書館だって躊躇(ちゅうちょ)する値段かもしれない…。

 14日間の“期間限定”は気に入らないが、オンデマンドで視聴すると第1~6集が1575円、第7~11集が1260円だから、なんとか払えないことはない。ただ、ダビング10の時代に個人の視聴を前提にしているにもかかわらず保存ができないのはやっぱりヒドイ。公共放送の資源は誰のものでもない。YouTubeへの映像資源の流出をあれこれ言うだけでなく、国、NHK、そして著作権を主張する人々は、視聴者の利益も考えた適正な運用を検討した方が実利はあるだろう。

 「映像の世紀」は、1995~1996年にかけてNHKスペシャルで放送された番組である。20世紀の前半1950年頃までの約50年の記録映像がまとめてある。第1集から第11集までの各集が約75分だから全部見ると約14時間かかる。それでもアイザック・アシモフの「世界の年表」を193ページ読むよりはましだろう※4。それに加えて文字でなく映像で過去を振り返ると、これまでに蓄積した知識がよりリアルに迫ってくる。

 その映像は、1900年に夏目漱石も訪れたという豊かさに沸くパリの万博会場の映像から始まり、サラエボ事件から第一次世界大戦に突入した欧州パ、その軍需景気に沸く米国、戦争の長期化、崩壊する君主制と帝国主義、大量殺戮と貧困、大戦の終結、米国のバブル経済と農村の衰退、株の大暴落と恐慌、ヒトラーの台頭、そして第二次世界大戦の勃発へと続く。

 映像に圧縮された時間は、好景気、不景気、政府への不満、独裁的リーダーの出現、戦争、破壊、殺戮、その結果としての民衆の更なる貧困、ゼロからの復興という波を繰り返す人々の50年間の姿を鮮明に写し出す。映像資源は過去を短時間で知るための大切な史料なのだ。

 そして、僕たちは1950年以降の50年間も、敗戦によるゼロからの復興、社会主義の台頭、冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、日本の特需と高度経済成長、社会主義体制の崩壊、IT革命とバブル経済、同時多発テロ、世界金融危機と、未だにその危険な波の中でゆらいでいる。

 この危険な波からの脱出を試みるための論考は、紀元前から、孔子、プラトン、アリストテレスが、そして中世には、ホッブス、ロック、モンテスキューが、その後も、ルソー、スミス、ヘーゲル、トクヴィル、マルクス、福澤、ミル、ウェーバー、孫文、ハイエク、アレント、丸山、そしてロールズへと続いている※5

 これらの論考は、未だに、僕たちに永遠の平和を与えてはいない。けれども、危険な波を起こしてしまう人々の快楽と権力への欲望は、人々の苦痛をもたらす全体のバランスの崩壊に気づきを与えることで制御可能かもしれない。情報社会はその可能性に大きな希望を与えている。

 快楽と苦痛に弱い個人に全体のバランスへの気づきを与えることが情報技術の使命で、その目的が永年の平和にあるとするならば、インターネットと人生の時間を超えた映像資源の組み合わせは、書籍よりも、より個人に気づきを与えやすくするだろう。

 不景気が加速している。しかし無責任な批判の横行は、歴史的に見て国家を危うくする。崩壊した地域社会と過度に集中した都市を抱え、経済成長の限界を迎えて、立て続けに首相が短期間で交代する政治不安定の日本が必要としているのは、糾弾や攻撃、闘争や相克ではない。そのことは過去の人々が身をもって示してきた苦しみのアーカイブスから明らかだ。

 私たちに必要なのは、過去に学び、希望あふれる新たな未来を設計することだ。

【注】

※1 NHKアーカイブスは、放送された番組を保存、活用、公開するための施設として2003年に埼玉県川口市に開設されています。現在までに保存されている番組数は60万以上、ニュースは400万項目を超えようとしているそうです。現在、学術利用などの特殊なニーズには対応しているようですが、国民全体がその知性を高めることが求められるウェブ時代ですから、研究、教育機関だけがそのコンテンツを利用できるというのも何か変です。NHKはせっかく公共の冠の付いた放送局なのですから、単に視聴率を求めるのではなく、人々の知性を刺激する良質な映像コンテンツの製作と提供の組織として機能してほしいと思います。【本文に戻る】

※2 NHKの経営情報は、最近では広く公開されるようになっています。NHKの予算・決算、経営計画などをインターネットで知ることができます。【本文に戻る】

※3 NHKエンタープライズ「DVD 映像の世紀 SPECIAL BOX 全12枚セット」2000年12月【本文に戻る】

※4 アイザック・アシモフ「アイザック・アシモフの世界の年表」丸善、1997年。多作のアシモフが作った年表は、ちょっと独善的な感じの記述が面白い年表です。客観的な史料としての年表もよいのですが、ああ、そんな見方もあるのかと読むと、自分の独善を防止しやすくなります。【本文に戻る】

※5 久しぶりに公民、倫理社会、政治経済、現代社会などの科目がなつかしくなってきたら、「佐々木毅『政治学の名著30』ちくま新書、2007年」が良いと思います。「映像の世紀」と一緒に読むと、私たちの社会が繰り返す過ちをなんとか食い止めたいという気持ちになります。目の前にある自分の問題を解決することばかりを考える人が多い今日このごろなので、大学で政治学は人気のない学問領域になっています。でも社会問題に取り組むことは遠い未来という長い時間の中で多くの人々への貢献を果たすことができます。その意味で、豊かな国でこそ志す人が増えてほしいと思います。【本文に戻る】

※6 新年あけましておめでとうございます。このコラムも3年目を迎えました。お気づきの読者もいらっしゃるかと思いますが、昨年12月より第2木曜日に月1回のペースでコラムを書かせていただいております。以前のように毎週書きたいのですが多忙が許しません。忙しくとも心を亡くさぬよう、パソコンを心の窓として広くそして身近に情報社会を見つめ、このコラムを書き続けたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。