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 なにせカメラが好き。

 こちらでも書かせていただいたが リコーのデジタルカメラ「GR DIGITAL」はほとんど目の延長となっている。「ん! 目の延長? 」。よく耳にする言葉である。そんなカメラ選びに鼻が利いて・・・口が止まらない・・・。なんのことやら。顔が痒くなってきそう。

 見たものを撮る。これがなかなか難しい。自然体、あるがまま。これは「芸」にも言えること。このせちがらい世の中で自然体でいることは至難の業。

 そんなときには原点に返るのもいい。噺に悩み、苦しんだ時、基本に戻ってみる。この場合の基本というのは噺の組み立て、運び方・・・。と技術的なことになる。

 原点に戻るというのは、それ以前の、口から発せられた言葉が目の前の人に伝わるということ。ずいぶん戻ってしまったかもしれない。こうなると江戸落語をさかのぼり、縄文弥生落語である。

 この頃だって、火を囲み獲物や作物をほお張りながら「今でこそ、火や作物があって豊かだがなぁ、ちょっと前までは大変だったんだ、こんなことがあってのぉ~」という昔話から「昨日こんなことがあったんだぁ~」と愉快な噺が始まる。それを面白く喋った人はいたに違いない。家族や身の回りの人が喜んでくれることはその人にとって幸せだったはずだ。

 便利なモノや道具の豊かさは、雪だるまのようにくっついて巨大な支配者のように我々の周りに膨らんでいる。それによって大事なことをハタと忘れてしまうことも多い。そんなときには黙って原点回帰。裸になって走り回るのもよい。もちろん自分の家で。はい。

 そんなわけでひっぱり出した原点カメラ。この場合、ニコンFでもライカバルナック型でもない(だいたい持っていない・・・)。ピンホールカメラである。このデジタル時代、間逆にあるモノかもしれないが、この原理がなければカメラというものが存在しないのだ。

 「ライカのズミクロンだ、エルマーだ。いやツァイスだ。M42が~」という議論も「どけどけぇ~」と蹴散らし鎮座するカメラ師匠。なんたってレンズが無いのだから議論の余地がない。このカメラにあるのは0.5ミリ以下の小さな穴のみ。後はただの暗箱。太陽や蛍光灯などの光の当たった物体から発せられた光(モノからは光が出ていて、それを我々見ているわけで・・・)が小さな穴をまっすぐ通る。極小の穴のため光は暗箱の中で間逆になった像を結ぶ。江戸時代の長屋でいい天気の中、雨戸を閉め切って昼まで寝て起きてみたら家の壁に逆さまになった富士山が現れていた。という話もある。雨戸の小さな穴から光が入り壁に像を結んでいたのだ。