PR

 米合衆国憲法の起草者たちは独占会社を好まなかった。英国や他の場所では、あらゆる種類の技術と産業の独占会社を認める権利は王たちが持っていた。フランスでは塩が専売されていた。ジョージ3世は、お気に入りの品を献上させるためにマッチのようなものの専売を認めた。合衆国憲法が作られた時、そのようなすべての権力は大統領にも議会にも与えられなかった。

 一つ例外があった。議会は「科学と有用な芸術の進歩を促進するために、著者と発明者へそれぞれの著述および発見への独占権を一定期間保証する」権限を与えられたのだ。議会はその権力を使って、著作権庁と特許庁を作った。しかし20世紀の終わりごろまで、一番の関心事は権力、特に独占が続く期間の長さの制限だった。しかし、時間が経つにつれて著作権の長さは、14年から28年目で更新可能になり、生存中+50年になり、とうとう生存中+70年にまで伸びた。

 私は「28年目に28年更新可能」の時代に著作業を始めたが、それを変えてほしいと切望してはいなかった。28年目の更新というのは、もし著者か著者の遺産所有者が著作権を更新したいとそれほど思わなければ、それがパブリックドメインになるというものだった。このやり方は所有者不明の作品を除いて著者に56年間の保護を提供できた。私は1968年に最初の本を書いた。そしてそれらは今もまだ保護されている。私はそれに満足している。

 ただ一つの障害は、それが国際著作権協定に適合しないことだった。こちらは生存中+50年と定めていた。ベルヌ条約はその大半をVictor Hugoが執筆した。この人は生存中+50年を主張した。彼は書類仕事、特に更新に必要な書類が大嫌いだったのだ。米国は万国著作権条約に加盟することが決定したので、我々には選択権はほとんどなかった。したがって、1975年の著作権法は生存中+50年と指定した。この後、米国のロビー活動家が強要したため、さらに20年追加された。

 これらの長い著作権規約が出来た結果、多くの「所有者不明」の作品が生じた。つまり、まだ著作権のある本や記事で、著作権所有者も含めて誰がその著作権を所有するか分からない著作だ。それらの古い物語、記事、エッセイを出版したいと考える人は、自分が非常に困った状態にあることに気づく。それらを出版しても、それほどの収入にはならないのに、著作権所有者を探すには予想される収入を上回る時間と費用がかかる。アンソロジーの編者は何年もこの問題に取り組んできた。