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 前回の「ブルートゥースの付いてない携帯電話でブルートゥースを使ってみた」に、「なるほど」という声から「ワシのにブルートゥースが付いているけど全く使ってないから、ワシのでよければいつでももっていってくんねぇ~」という方まで現れありがたいことです。もっともホイとあげられるものではないのですが、その気前のよさに感謝。

 日本の携帯電話は周知のごとくガラパゴス化とも言われおり独自の進化をしている。そういう需要があるからそうなったんだろうけど、僕自身、未だにとっつきずらい。

 以前から携帯電話というツールと仲良くなろうと思うのだが、なかなかうまくいかない。携帯電話が「ケータイ」になった頃から、何だか違和感があった。

 当時、売り場を見ていると、最近ではあまり使わなくなった、「お客様Pでお探しですか?」「やはりNなんかいいですよ」。なんだPって! パーキングか。Nって北のことか。この頃から心がちょっと離れていった。

 畳み込むように、ゴーマルシリーズはですね~。とこれらをまるで常識のごとく話しかけられるのが憤りを覚えるほどだった。「インターネットとかも早いですし、曲のダウンロードも早いですし・・・」と止まらない。

 とうとうガラパゴス化への進化へついていくことができなくなった。頑張って、「ブラウザーはどんなモノなんでしょうか?」と聞くと「え? ブラウザーですか・・・それはちょっと・・」と知らかった。「この端末をパソコンにつないだ場合はどうなるんでしょう」と尋ねると「いや~その場合は・・・え~しかしこれ単体でインターネットできますよ!」 話は、かみ合わないが、なるほどガラパゴス化は独自で進化するので他の常識などと交わらなくてよかったのだ。

 その頃、家や外出先でも有線、無線LANでの高速通信で世界中と自由につながることの喜びを知ってしまった者としてケータイの小さな画面でそれぞれサイトを見るのが「月額いくら」というのも理解できなかった。

 携帯電話は日々使っているが、実はデジタルツール好きにもかかわらず気が付いたら通話以外には使っていない。携帯メールはAdvanced/W-ZERO3[es]を使っているくらいなのだ。PalmやWindows Mobileは理解しやすい。意外に知られてないが、ドコモのサーバーに届いたメールは転送できない。自分のトコに来るのは問題ないが他には連れ出せない。封建社会である落語界までが壁を超えて相互関係を持っているご時世で、そりゃ~ないっす。

 ドコモに聞いたところ、システム上、無理なのだそうだ。なのでメールをGmaiで一本化をした時にドコモメールは使うのをやめてしまった。