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 ディスプレイに何らかの病がはやっているに違いない。数週間前に、友人のSF作家Nivenがここへ来た時、作業をするワークステーションに接続されていた21インチ・ディスプレイの電源を入れたら、動かなくなった。画像は何一つ出ない。まったくない。これは私が1988年ごろにそのディスプレイを買った時には最先端の製品で、ここ数年快調に動いていた。しかし、もう交換する時期だった。Fry'sが「Acer X233H」という23インチのワイド液晶ディスプレイの大セールをやっていたので、1台買った。私はSilverにそれを設置した。Silverはもっと古いマシンで、Pentium 4でXPを作動させている。そしてディスプレイは十分に良好に作動したのだが、私は解像度にあまり満足できなかった。テキストがあまりきれいに表示されなかったのだ。もちろん、それは新しいディスプレイを古いマシンで使う時によく起こる問題だ。それを修正するにはいろいろなことをする必要があるのだが、頻繁に行う必要がないので、やり方を忘れてしまう。私の場合はもっと悪い。というのは、私は64ビットのVistaシステムでほとんどの作業をして、残りの作業はMacで行っているからだ。

 私はいずれ調整しなければならなくなるだろうと分かっていたが、急ぐことではなかった。Nivenと私は「Lucifer's Anvil」に取り組んでいて、今は小休止の段階で、書くよりも相談することが多く、書くことのほとんどは、場所を設定して描写し、登場人物を紹介することだ。そして物語の第1部のほとんどは軍事ものなので、彼より私の負担が多いため、彼はあまりここで作業する必要がないのだ。Acerは私がOSのアップデートを受けるためにスイッチを入れた時以外は使われないままになっていた。

 すると今度はRobertaが2階に向かって、彼女のマシンがクラッシュしたと叫んだ。私が階下に下りて見てみると、画面に何も表示されていなかった。彼女のディスプレイが死んだことはすぐに分かった。それはNokiaの21インチのCRTディスプレイで、昔Nokia がディスプレイ生産に参入すると決定した時に私が入手したものだった。製品の発表のために、同社は大勢のジャーナリストを飛行機でラップランドに運び、スノーモービルや犬ぞり乗りまでできる盛大なパーティーを開いた。さらに、米国から私とJohn Dvorakの2人のジャーナリストを呼んだ。

 我々はラップランドで楽しい時を過ごした。私は写真入りで「BYTE」誌のコラムに旅行の話を書いた。そしてNokiaは、当時としては巨大なディスプレイを評価用に送って来た。それからかなりたってから、NokiaはViewSonicにディスプレイの製造ラインを売却した。RobertaがそのNokiaをもらってそれからずっと使っている。優に10年か、もしかしたらもっと長く使ったことになる。その旅行がいつだったかはっきり覚えていないが、この前のミレニアムのころだったのは確かだ。問題がディスプレイだということにまったく疑問はなかった。彼女のコンピューターではまだライトが点滅していた。ディスプレイには緑の電源オンライトが点いていたが、メニューボタンは何も表示しなかった。できることをすべてやっても、画面にはまったく画像が出なかった。ディスプレイは死んでいた。勤勉で忠実なしもべに別れを告げる時が来たのだ。