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 この夏、Twitterの力と、それがイラン社会をどのように変えようとしているかを興奮気味に語る記事を多く見かけた。数日の間、そのニュースはインターネットを独占しているように見えたのだが、やがて、それも夏枯れ時の記事にすぎないことが分かった。もちろん、そうなることは最初から分かっていた。つまり、イランの選挙のすべての候補者は、最高指導者に事前に詳しく調査されていて、指導者が危険分子は1人もいないと考えていたのは明らかだった。状況はイランの制度内の派閥争いといった程度のことで、街頭デモに参加した人々が自由と民主主義をどれほど信じていたとしても、どのみちそれを勝ち取れる可能性は低かった。

 それでも、それはイラン国外の人々から多くの称賛を浴びることになった。著名なブロガーたちが「革命がTwitterされる」とほめたたえたので、多くのブロガーがそれに追随した。しばらくの間、「Web 3.0」の新しい力が世界を変えると大騒ぎだった。Mark Pfeifleは「Christian Science Monitor」で、Twitterにノーベル平和賞を贈るべきだと述べた。Twitterがあれば「二度とルワンダのようなことは起こらない」とまで言われた。

 だが、最新のTwitter関連の記事には、そのような話ではなく、Twitterがイランの反体制分子を難なく制圧したイランの治安部隊によってではなく、ゾンビコンピューターを操ってサービス妨害攻撃を行ったある悪意のある集団によって停止させられたことを報じる記事があふれている。これは将来へのリハーサルなのか? Twitterもインターネットも、自分の意志を貫こうと決心した高度な技術を持つ権力による攻撃に耐えられるほど頑健とは思えない。

 Twitterによってイラン政権が破滅しそうになっているという話は夏枯れ時の大げさな記事一つだったが、それが意味することについて他のもっと重大な話があるかもしれない。