日野真代(ひの まさよ)さんは、シンポジウム会場の控室で、ソニーの「VAIO type S」らしきノートパソコンをバックから取り出して、「これ、ちょっと大きんやけど、ようやく買うたんですよ」と京都弁のゆったりとしたイントネーションでうれしそうに言った。「私、この活動を始めるまで、パソコンなんか触ったこともなかったんです。でも、やっぱり、できる人に頼ってばかりじゃいけないから…」
パソコン初心者の日野さん、実は、インターネットをまちづくりの武器とするNPO法人「まちづくりねっと・うじ」の副代表なのである。でも、パソコンも、NPO活動も、始めてから、まだ1年半しかたっていない。
地域社会とのかかわりは、お父さんの介護がきっかけだった。介護の負担は想像以上に厳しいものだった。介護する者の多くは、肉体的な苦しみもあるが、尊厳を保つべき人間がそれを失いゆく姿を見る精神的な苦痛に侵される。
日野さんは、地域の人々の助けがなかったら、もう本当に駄目だったかもしれないと、介護の日々を振り返る。苦しみ抜いて訪れたという宇治市役所の高齢者窓口にいた前西美也子さんは「ううん、当たり前のことをしただけ。」と当時を振り返る。けれど、優しさと冷静さを併せ持つ前西さんが、つなぎ始めた介護者支援のネットワークは、深い苦しみの中にいた日野さんに特別な輝きを放った。
地域社会の中に自分を助けてくれる人がいる。その安心感は、小さな家族や1人で暮らす人々にとってかけがえのないものだ。
その後、介護を離れた日野さんは、地域に何かをお返しをしたいと考えるようになっていた。人づきあいが苦手でとても物静かな安江徹さんは、現役引退後に自宅に閉じこもらないように福祉活動を始めた。代表の安江さん、副代表の日野さん、その仲間たちという福祉が結んだ糸が求めたのは地域社会の人づくりだった。そして「まちづくりねっと・うじ」が設立された。
右も左も分からずに、まちづくりは人づくりだと前に進み始めると、また、地域の手が差し伸べられた。地元宇治市の京都文教大学で文化人類学を教える杉本星子先生は、人づくりを側面から応援した。文化人類学は、現場に出て、現場で考える学問なのだからと、学生、学科、学部、そして大学からの支援を漕ぎ着けた。非営利セクターの活動を支えるファンドづくりに奔走するきょうとNPOセンターの深尾昌峰さんは、法人の設立、運営、資金繰りになくてはならないアドバイザーだ。