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須川 賢洋、新潟大学法学部助教

 前回の上原先生の『「国民ID」に幅広い議論を』に続いて、筆者も今回は「国民ID」に関して述べてみたい。実は先週末、このリレーコラムの主な執筆者四人が一堂に会する機会があり、今回の記事はその際にリアルで行われた議論も踏まえた論考となっている。

 この「国民ID」導入に際して、何よりも問題視していることは「世間があまりにも無関心で、導入に関する議論すらまったくなされていないこと」である。この政府による新たなIT戦略に関しては、例えば日本経済新聞では、2010年5月11日に「国民にID 13年までに」というそのものずばりの見出しで報道されている。しかしながら、その後の世間の反応やマスコミの反応は、怖いくらいに「無関心」である。今回の上原先生や筆者のコラムの見出し中の「幅広い議論を」という言葉には、「賛成でも反対でもいいからとにかく関心を持ってもらいたい!」という思いが込められている。

 筆者は声を大にして全国民に問いたい。「個人情報保護法が制定されるときの過剰とも言えるあの騒ぎはなんだったのか?」と。国民IDの社会や生活に与える影響は、事業者の保有する単なる個人情報の取り扱いを定めた個人情報保護法の比ではない。国民一人ひとりのプライバシーの隅々にまで影響してくるものである(この場合の「単なる」とはプライバシー情報の重みに比較して使っている)。

 マスコミに対してもあえて苦言をていせば、沈黙せずにもっと賛否の論調をはってほしい。ここでも再度同じことを問わねばならない。「個人情報保護法のときの二の舞を演じるのですか?」と。個人情報保護法の計画時、当初法案では報道機関も同法の対象となっていた。そのため新聞・テレビを問わずすべてのマスコミが反対に回った。しかしながら、ひとたび報道機関が同法の対象外となるや否や、潮が引いたように議論から脱退していった。

 その結果、個人情報保護法が内包する本当の問題点はまったく議論されることなく法律が制定・執行され、今日の多くの混乱を生んでいる。上原先生も書いているように過去に国民統一IDが「国民総背番号制度」などと言われていた時代は、まだ多少なりとも賛否の議論があった。しかしながら、何度も述べているように今回はあまりにも静かなのである。もし、ジャーナリズムが権力の番人であると自覚するのであれば、今度こそ国民目線での取材・論説を行ってもらいたい。