PR

「議論好き」と言われてきたが…

 このごろ、頭を離れないことがある。それは「“熱き議論”はホントに必要か」ということ。恥ずかしながら、何十年も生きてきて、初めてギモンに感じた。まあ、いろいろ細かい部分や例外はあれど、ぶっちゃけな話。

 前にも書いたとおり、筆者の父親は非常に議論好き。筆者はその気質を受け継いでいる。学生時代の友達にも、「エミは議論好きだから…」とよく言われたし。

 今まで、議論に費やす時間は惜しくない、どころか、生きてきた環境も考え方も違う別々の人間が、議論を戦わせつつ分かり合うための時間は必要不可欠と思っていた。ゆえに、筆者にとって、熱き議論の末に分かり合えたときのヨロコビは何にも代え難く、若いころよく父親と遅くまで話し込んだり、学生時代などは友達や先輩と朝まで語り明かしたりした。

 ところが、全く種類の違う、議論好きでない人物が目の前に現れた。それはウチのダンナである。彼は、筆者の繰り広げようとする「議論」を「ムダな口げんか」「ただの口論」と言い捨てた。彼によれば、「議論」「討論」はただの戦い、最初から、同じ目標に向かって心が通じ合えている仲間なら、「前向きな話し合い」はしても、議論を「戦わせる」必要なんてないじゃないか、と。

 そういえば昔、ウチに訪ねてくる友達に、なかなか玄関のドアを開けられない、と言われたことがあった。なぜかと言えば、「いつも“口げんか”してるような(筆者の)声が聞こえてくるから」。筆者、そう言う友達に「あれはケンカじゃなくて議論だから」と言って安心させること多々。

 そんな感じで、「議論」というものに何のギモンも感じない筆者であったのだが…。