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以前の本の買い方/読み方ときたら…

 少女のころから読書好きを自称する筆者、本の重さで床が抜けそうになったぐらいだから、とにかく筋金入りである。独身時代はすごくたくさんの本を買ったし読んだもの。時間もお金もまあまああったので、1回書店に入れば気になる本を最低数冊は買った。買い過ぎてお小遣いが足りなくなると、古書店も利用して、安い本を買いあさったものだ。

 というわけで、気になる本はどんどん買っていくやり方では、なんとなく読む気にならずに積んだままになっているという、いわゆる「積ん読」も、本自体の絶対量が多くなるにつれ、それなりに増えていく。それにしてもまあ、学生とか独身時代はまだ読む時間もけっこうあって、一生懸命消化につとめれば、それほど「積ん読」は気にならなかった。

 それが、会社勤めも「若手」「新入り」から脱する二十代後半あたりから、いろいろと忙しくなって、本を読む時間が取れなくなってきた。それでも「本を読みたい」「この情報を得たい」という気持ちはフツウにあるものだから、以前と同じように本をたくさん買い込んでしまう。そうすると、今度は読めずに消化できない本がたくさん増えていって…。そしてさらに公私ともに忙しさが加速してくると、「積ん読」がガンガン積層、何を買ってあるのかも分からなくなって、気が付くと同じ本が数冊(しかもまるきり読んでない)出て来たり…。

 そんなこんなに嫌気がさしたのと、結婚してさらに自分の時間がなくなったりで、ほとんど本を買わなかった時期もしばらくあったものの、最近また知識欲が復活してきて、今度はアマゾンとか楽天ブックスとか、ブックオフとかから毎日のように本が届く、みたいな。

 そうなるとまた「積ん読積層のトラウマ」がやってきて、読みもしない本を買っている自分を後悔してみたりする。そんな感じで、「積ん読」が積層している人は、筆者以外にもたくさんいそうな気がする。

 ところで、喜び勇んで買った本をいざ読むと中身はあんま大したことなくて、「お金と時間を返せ」みたいな気持ちになることも、読書家としてはよくある話。まあ、自分の「本を見る目」がなかったとも言えるが。

 そんな感じで、積ん読やら、損した気分になる読書やらで、ムダに費やされる時間やお金はずいぶん惜しい。あと、その本が占める「空間」とかも、家や土地が高いイマドキ、侮れない気がして、これは何とかしないと、みたいな。それらのムダをかき集めれば、美味しいもののひとつやふたつ、何年何十年か重なれば海外旅行のひとつやふたつは楽しめるのかもしれない、という解釈もできそう。