「あの人の最新作が出たんだ!」――電車の中吊りや新聞広告で新刊の発売を知って、居ても立ってもいられない気持ちになることが少なくありません。特に大好きな作家の大好きなシリーズの続編が出たときなどは、今すぐにページを繰りたい思いに駆られます。でも現実には、自分の趣味のためだけに書店に足を運ぶ時間はなかなか取れません。
思い立ったときにネットワーク経由ですぐに新刊が買える電子書籍なら、この問題は一気に解消です。そんなわけで電子書籍には興味津々なのですが、元来の慎重な性格もあって、いまだ専用端末は入手していません。ただ、iPhoneではちょくちょく電子書籍を購入しています。例えば電車の待ち時間に雑誌を購入して眺める、というのはいい時間つぶしです。持ち歩く際にかさばらないのも、電子書籍のありがたいところです。
ただこれまで、小説のような長編の書籍をiPhoneで読むことには、何となく抵抗を感じてきました。小さな画面で長い文章を読むのは疲れるのでは、とか、操作に手間取って小説の世界に集中できないのでは、などという懸念があったからです。しかし先日、最近ファンになった作家の人気作がApp Storeで公開されているのを偶然発見しました。そこで思い切って、初めて小説を購入してみました。
実際に読んでみると、購入前の心配は杞憂でした。フォントはキレイだし、ページめくりも自然な操作でできるし、気付けば小説の世界に没頭している自分がいました。
しかし。何事もなく最後まで読み終えたわけではありませんでした。途中で、ある衝撃的な体験をしたのです。
それは、小説のストーリーが急展開を見せたときでした。主要な登場人物が、意外な一面を持っていることが突如明らかになります。その事実に読み手として驚きながら、この先どんなストーリーが待ち受けているのだろうとドキドキしながらページをめくったそのとき……。
私の目に飛び込んできたのは、なんと奥付の1ページでした。つまり、そのシーンが、小説の結末だったのです。
それは、小説のどんでん返し以上に衝撃的なことでした。「え??これで、終わりなの??」。見ていた映画のフィルムが、突然ブツリと切られてしまったかのような感じです。尻切れトンボで終わったような、なんだか裏切られたような、複雑な気分でした。
この小説を紙で読んでいたら、「うわっ、最後に大どんでん返しが待っていた! 作者にしてやられた!」と、どこか爽快な読後感を抱いていたでしょう。それは、物語が結末を迎えていることが、残りの紙の枚数で明らかだからです。「いよいよ結末だ」という心の準備をしながら大どんでん返しを読むのと、大どんでん返しを読んだ後にそれが結末だったことを知るのとでは、読後感は全く異なります。
「電子書籍は、今自分がどこを読んでいるかが分かりにくい」。この指摘はこれまでにもさんざん目にしてきて、頭では分かっているつもりでした。でも実際にそれがどんな大きな意味を持つか、自分が体験して初めて分かりました。自分が小説を読むときに、今読んでいるストーリーが全体の物語の中でどんな位置付けにあるか、手に伝わる紙の重みを基に無意識に理解していたということに、改めて気付いたのです。もちろん電子書籍でも、現在のページ番号などを基に位置を把握することはできます。ただ物語に没頭している最中に、ページ番号の表示にはなかなか注意を払いません。手に紙の重みがダイレクトに伝わる紙の書籍とは、決定的な違いがあるように思います。
では電子書籍にはもうこりごりなのか、というと、そんな気分でもありません。たぶん何冊もの電子書籍を読む中で、電子書籍なりの小説の読み方というのが、私の中で作られていくのだろうという気がするからです。これからも、紙と電子の両方で、存分に読書を楽しむつもりです。