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 本当にその日が来た。

 アップル前CEO(最高経営責任者)、スティーブ・ジョブズ自身のメッセージとして、世界にお別れのメッセージが流れたのは8月24日。彼が思い描いている世界の全体像に最後の仕上げの筆を入れようとしていたに違いない時に発信されたそのメッセージは、万感の思いを次なる世代に託そうとする気持ちがにじみ出て痛々しかった。

アップルの最も輝く、最も革新的な日々はこれからだと信じています。その成功を新しい役で見守り、また貢献したいと思っております。
 

 病床にありながら、まだ最後の一筆をどうふるおうと夢想していたに違いないスティーブの心中はいかばかりだったのだろうか。しかし、その精神的DNAは、彼の分身であるアップルにこれから引き継がれて行く。

スティーブがいたから私がいる

 こんな思いを持つ人が世界に何百万人もいるだろう。

 1976年、私はジャズ雑誌の編集記者としてサンフランシスコの音楽スタジオでハービー・ハンコックのレコーディングを取材していた。大きなサウンドミキシング・コンソールの一角に鮮やかな6色棒グラフが踊っているのが目に入ってきた。それがApple II。もともと、制御工学を学び、一時はコンピューター会社にも勤めていた私にとってそれは衝撃だった。当時はグラフィックスといえばコンピューターが打ち出す文字を組み合わせて遠目に絵が浮き上がる、といったまさにビットマップディスプレイのコンピューター前史時代。マイクの音声ラインからの信号をグラフィックスで映し出すなど、システムを組めばできるがそれだけで数百万、数千万円がかかるといった時代だった。それが、タイプライターほどの大きさのコンピューターで、手作りインタフェースを用意すればできてしまう。かつて在籍したコンピューター会社でこれからはミニコンではなくてマイコンだと企画をぶち上げても、ことごとく潰される毎日を送っていた私にはまさに衝撃だった。

 帰りには大きなApple IIの段ボール箱を抱えて、国際線チェックインカウンターに立っていたのだった。それからはジョブズとウォズニアックの2人のスティーブが創造したApple IIに夢中になる日々が続いた。ジャズ雑誌に身を置きながら、日夜考えることはApple IIのことばかり。日本のジャズミュージシャンにもパソコン、いやApple IIのことをいろいろ教えてあげたなあ。

 私にとって、一つの転機はApple IIに出会ったこと。そして、それをスティーブが作ってくれたから、今の私がある。