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 アップルを率いていた総帥、故スティーブ・ジョブズが次に成し遂げたいと思っていたというプロジェクト「テレビの再定義」。さてどうなるのか、とあちこちで騒がしい。スティーブはかねてから「テレビを見ている時は人の脳のスイッチは切れている」と発言。1990年代後半には人々の創造的な活動を支援するための道具を作っているのがアップルだから、この分野には手を出さないと明言していた。HD(ハイビジョン)ビデオを録画再生するためのBlu-ray Disc(BD)ドライブがパソコン向けにも安く供給されるようになっても、この先ビデオコンテンツはHDであってもネット配信主流になると、Macへの搭載は無視されてきた。そういう人が再定義したというテレビとはどんなものになるのだろう。日本でも「もっとTV」や「Dlife」などのオンデマンド配信が動き始める中、まだ見ぬ「iTV」がどんな方向に行ってくれるのか考えてみたい。

テレビの使いにくさはひど過ぎる

 かつて、スティーブ・ジョブズは「Wall Street Journal」のテクノロジー・コラムニストが主催するカンファレンス「All Things Digital」に登場し、テレビに改革を起こすには大きな問題がある、と発言したことがある。その時の映像はここで確認できる。

日本とは異なり、米国ではテレビ放送はケーブルで配信されることが一般的で、ユーザーには配信会社から無償でセットトップボックスと呼ばれる受信装置が配られ、視聴者はそのセットトップボックスのひど過ぎるユーザーインタフェースを押し付けられる。こんなビジネス構造であるために、アップルがもっと使いやすい受信装置を作ったとしても参入する余地がないということを言っている。ソニーもパナソニックも結局何もできず失敗した。1つできることがあるとするなら、セットトップボックスをばらばらに分解して、ゼロからユーザーインタフェースを見直し、完全に作り直すしかない。しかし、そうやっても、参入はできないとも続ける(図1)。

図1 2010年6月2日。ITカンファレンス、「All Things D」のD8でテレビの抱える問題について熱く語るスティーブ・ジョブズ。
図1 2010年6月2日。ITカンファレンス、「All Things D」のD8でテレビの抱える問題について熱く語るスティーブ・ジョブズ。
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 この発言はカンファレンスへの参加者が「テレビの使いにくいユーザーインタフェースを吹き飛ばし、人間にとって本当に使いやすいものにするためにアップルは何かできることはないのか? iPhoneやiPadで実現したように」と質問したのに答えたものだ。

 こうも続ける。「携帯電話は世界に通ずるGSM標準があったが、テレビは違う。各国で異なる制度があり、標準がない。何と言えばいいんだ? ~~う~~ん、適切な言葉が浮かばいな。え~~っと、そうだ、Balkanize(小国乱立)。」

 結局、その解としてはiTunes Store経由でApple TVに配信しているように、放送業界、配信システムとは全く別のレイヤーを用意して全く新しいサービス形態をユーザーに届けるしかないということだったわけだ。

 技術的な問題ではなく、制度の問題。結局その場では、リビングに置くテレビを置き換える製品を送り出してやろうなどとは言っていないが、だからこそ、この分野のユーザー体験を覆して一新するような製品を作ってやろうと、人知れず密かに準備していたのだろう。公式評伝『スティーブ・ジョブズI・II』(講談社、ウオルター・アイザックソン)の最終章に近い「その日が来てしまいました」には次のような記述がある。

「とても使いやすいテレビを作りたいと思っているんだ。ほかの機器やiCloudとシームレスに同期してくれるテレビをね」そうすれば、DVDプレーヤーやケーブルテレビのややこしいリモコンで苦労することはなくなる。「想像したこともないほどシンプルなユーザインタフェースにする。どうすればいいか、ようやくつかんだんだ」

 筆者のウオルター・アイザックソンがこの言葉を聞き出したのは、スティーブが亡くなる3カ月ほど前のことだったらしい。発表していない将来の開発計画は決してあるとも言わないスティーブが、こんな風に漏らすのは本当にまれなことだ。神が許せば、必ずや自分の口から世界に発表したかったことに違いない。