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 前回の記事が公開された7月23日、政府事故調査委員会(委員長:畑村洋太郎・東京大学名誉教授)は最終報告を公表した。これで東京電力福島第一原子力発電所に関する事故調査報告は一通り出そろったことになる。最終報告は中間報告を補完する形で書かれていて、重複はあまりない。本連載では、ここまで政府事故調の中間報告を中心に事故の経緯を解説してきたが、ここからは中間報告に加えて最終報告の記述も踏まえ、放射性物質大量流出に至る経緯を見ていくことにする。

 前回、福島第一1号機の核燃料が崩壊熱で溶けて、ついに圧力容器の底を溶かして格納容器に落ちてしまったところまで説明した。政府事故調最終報告は、3月11日午後8時7分から3月12日午前2時45分までの間のどの時点かにおいて、圧力容器の底が抜けたと事実認定した。かなり幅があるのは、直流電源まで失われてしまったために原子炉内部の温度や圧力の実測データが乏しく、また現場は今なお高い放射線環境で立ち入り調査が不可能であるために、様々な仮定を置いた上での解析によって原子炉挙動を分析せざるを得なかったためである。午前2時45分というのはバッテリーによって圧力の計測が復旧した時刻だ。この時点ですでに圧力容器と格納容器の圧力が同じになってしまっていた。
 政府事故調最終報告はかなりの紙幅を割いて、原子炉の状態を監視するセンサーの構造や動作を分析している。それでも「いつ、何が起きたか」を詰め切れなかったわけだ。
 さらに核燃料が落下した先の格納容器についても、3月11日午後9時51分頃までに閉じ込め機能を損なうような損傷が起きていた可能性があり、遅くとも12日未明には高温高圧のために格納容器に損傷が発生し、その後も損傷が拡大していった可能性が高いと事実認定した。午後9時51分というのは建屋入り口の放射線量が10秒間で0.8mSvという高い値を示して建屋への侵入禁止措置が発令じた時刻だ。つまりこの時刻までに、圧力容器から溶けた核燃料から放出された放射性物質が格納容器に出てきて、さらには格納容器の破損部位から建屋へと出てきてしまっていたということである。
 しかしながら、圧力容器と格納容器が共に0.8MPaの圧力に低下したことで、圧力容器に注水できる可能性が出て来た。3月12日午前4時頃から、発電所の消防車を1号機タービン建屋の配管につないで圧力容器への注水が始まった。最初は消防車水槽内の1.3立方メートルを注水、消防車を移動して水を補給し、また戻って注水という効率の悪いものだったが、防火水槽からの連続注水を行うためのホースを敷設して午前5時46分頃からは連続的な注水が可能になった。津波到達から14時間を経てやっと連続注水が可能になったわけだ。
 さらに、早朝には柏崎刈羽原子力発電所の消防車1台と自衛隊の消防車2台が福島第一原子力発電所の到着。これらは、2号機や3号機の防火水槽から1号機防火水槽に水を補給する役割を担った。とはいえ、連続的な注水といっても防火水槽の取水口が1つしかなかったので、防火槽への水の補給中は、原子炉圧力容器への注水を中断せざるをえないという状態だった。また、すでに環境放射線量がかなり上昇してしまっていたので、作業は被曝量を計算しつつ交代で行わねばならなかった。
 最終的に防火槽の水が尽きる12日午後2時53分までに、約80立方メートルの淡水が1号機に注水されたが、いったん高温になった核燃料を冷やすにはまったく足りない量だった。