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昭和29年(1954年)3月1日から5月14日にかけて、米国は信託統治領の南太平洋・マーシャル群島のビキニ環礁およびエニウェトク環礁において6発の水素爆弾を爆発させる「キャッスル作戦」を実施した。
 米国は焦っていた。1952年11月にエニウェトク環礁で世界初の水素爆弾の爆発実験に成功したものの、翌年8月12日にはソ連が初の水爆実験を実施して追いついてきていたのである。しかも、米国の水爆が極低温の液体重水素を使う、とても兵器としては使えそうもない巨大な実験装置然としたものだったのに対して、どうやらソ連の水爆はより小型、かつ取り扱いが面倒な液体重水素など使用していないという情報が入ってきていた。
 ずっと後に、ソ連が初の水爆として宣伝した核爆弾「RDS-6」は、水爆というよりは「一部核融合反応も起こす原爆」という程度のもので、完全な水爆ではなかったことが判明した。が、ソ連が水爆開発で米国に追いつき、追い抜いた可能性があることに米国は深刻な危機感を抱いた。なんとしても早期に爆撃機に搭載可能な水爆、実戦で使用可能な水爆を開発しなくてはならない。
 かくしてキャッスル作戦では2カ月半の間に水爆6発を爆発させる強行日程で実験を実施することになった。
 実験にあたって米国は危険水域を設定し、船舶に対して入らないようにと警報を発した。だが事前の爆発力計算には誤りが入り込んでいた。水爆の爆発力を過小評価してしまったのだ。
 昭和29年(1954年)3月1日、東京では改進党と自由党が日本初の原子力予算を盛り込んだ昭和29年度予算修正案を事前協議したまさにその日の現地時間午前6時45分(日本時間午前3時45分)、キャッスル作戦最初の水爆爆発実験「ブラボー」が行われた。

ブラボー実験の爆発で直径7kmもの火球が発生した(1954年3月1日、ビキニ環礁にて。Wikipediaより)。
ブラボー実験の爆発で直径7kmもの火球が発生した(1954年3月1日、ビキニ環礁にて。Wikipediaより)。

 核爆弾の爆発力は、同等の爆発を起こすTNT爆薬の質量で表す。ブラボー実験に使われた水素爆弾「シュリンプ」はTNT換算で6メガトン(600万トン)の爆発を起こすと計算されていた。しかし実際には15メガトンと2.5倍の爆発を起こした。爆発により直径7kmの火球が発生し、閃光は400km離れたクウェゼリン環礁にまで届いた。シュリンプを設置したビキニ環礁の小島は消え去り、後に直径1.8km、水深120mものクレーターが残った


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ブラボー実験で生じた巨大クレーターは、Google Mapで見ることができる。

 水爆は起爆機構に原爆を使う。また、「シュリンプ」は、核融合反応を十分な時間継続させるための閉じ込め構造(タンパー)に、ウラン238を使用していた。ウラン238は核融合反応から出た大量の中性子線でさらなる核分裂を起こし、エネルギーと放射性同位体を放出する。加えて中性子線は、破砕された珊瑚礁の構成物質を放射性同位体へと変化させた。爆発で生成した大量の放射性同位体を含む粉塵と珊瑚礁の破片は、はるか成層圏にまで吹き上げられ、西から東へと吹くジェット気流に乗り、事前に設定した危険水域を超えてビキニ環礁東方へと拡散していった。