先立って、サンフランシスコのレストランで知り合いと食事をしていたら、別のテーブルの女性客が「グーグルグラス(Google Glass)」を着けていた。その女性は、数人の仲間と一緒で、「特別なことは何もありません」といった感じで普通に食事をしている。私も教えてもらうまでは、そんな客がいるのに気づかなかった。
きっとグーグルグラスの開発に関わっている社員なのだろう。あるいは、グーグルグラスに合わせて、何か面白いサービスを開始しようとしている開発者なのか。それとも、現在1500ドルで特別な人々に限定販売されているという、その購入者の1人なのか。
いずれにしても、「へえー、グーグルグラスが発売されると、ああいう風に普段の生活でかけている人を見かけるようになるのだなあ」とその時は思った。グーグルグラスは、今年中に一般への販売が開始されるとのことである。値段も1500ドルよりは少し安くなるという噂だ。
自分の姿が録画・アーカイブされる?
ところが、しばらく考えてみて、けっこう重要な問題だなあと気づいたのは、プライバシーのことだ。
そのレストランで、私はその女性が座っているところからいくつかテーブルを隔てた席にいた。グーグルグラスを付けている人がいると聞いて、私はぐるりと向き直って彼女の方を見たのだが、きっとそうして振り向いた私の姿はそのグラスで捉えられていただろう。もし彼女がグーグルグラスのカメラで録画していたら、私の姿は彼女のクラウド環境にアーカイブされてしまったかもしれない。
いや、私の姿だけではなく、顔認識(関連記事:顔認識などAndroid 4.0のちょっと便利な新機能)を使えば名前も分かってしまう。視線をずらせば、一緒にいるのが誰なのかもすぐに知れる。
ちょっと昔、未来のテクノロジー社会では、向こうからやってくる知人の情報が目前の小さなスクリーンに映し出されて、「いやー○○さん、お久しぶり。お元気ですか」とすかさず相手の名前が口にできるようになるといった小話があったものだ。それが本当のことになりつつあるのだ。
その頃は、便利な機能かもとぼんやり感じていたものの、自分がやられてはたまらないという実感がムクムクとわき起こってくるのである。